鶴ヶ城に寄ってみる
最近屋根の瓦が赤くなったそうな
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露店の出ている一画があり、
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そこでは関係者の和服率が異様に高い

そこで馬肉のソーセージを食べる
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味付けが一緒なせいか、豚肉のソーセージとの違いがわからない…
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天守閣の中に入る(510円)
下履きを履き替えなくていい

中は資料館とか記念館みたいなものだった
歴代の城主(蘆名家から始まり、伊達家、上杉家、蒲生家、加藤家、保科のち松平家)を時系列に沿って紹介している

やはり人が一番群がるのは、松平容保が京守護職を引き受け、新撰組が会津藩預かりとなったところ

京では当時(幕末期)維新志士に人気があったとか…
巷間言われていることは、
「日本を変えるために、命をかけていた志士達を支援した」
かららしい
と、伝わっている

しかし、同じように日本を変えようとした織田信長は人気が無い

現在新撰組は人気があるが、幕末当時の市民には壬生浪と云われ恐れられていた…
信長と新撰組や幕府見廻組の共通点は

「京で金を使わなかった」

信長の場合、荒廃した京を建て直すより、他に金を使うことがあり、京は政治的なところ
新撰組や見廻組は治安維持の職務があり、その職務上、遊興に表立ってはいけないし、給金もそう多いものでもない

対して維新志士(藩の公金を使え、またそれを使うことが許された人達)は公家を味方に付けるために京の花街でかなりの金を使ったとか…
中にはゴロツキのような維新志士もいたが、

まさしく
「勝てば官軍」

無かったことになり、維新志士の良いイメージと、それを支えた京市民のイメージは現在まで続くことになる
(白石正一郎は京の豪商とばかり思っていたが、だいぶ前に下関の廻船問屋と知った時、
「へぇ、そうなんだ」
と思った)

それが悪いとは言わない、権力者が作り伝えられた「真実」と呼ばれるものと、当時あった「事実」は違うからだ




お城の一番上からの眺め
白虎隊の自刃した飯盛山方面を望む
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あとは降りるだけ
そういえば、八重桜が満開
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その流れで↓
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さらに
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タツノコプロの笹川ひろしさんが鶴ヶ城をキャラクター化した
「お城ボくん」
もっと小さいのが口からたくさん出て来て
「城、城」
とか言いながら行進しそうだ

ミーハーだなぁ