4月16日に立山黒部アルペンルートが開通したというので行ってみることにした

朝から天気が良く、天気図を見ると西から前線が近付いているが、夕方まで晴れは持続すると判断
午前6時 5℃まで冷え込んだがバイクで出発

日曜の早朝、道は気持ち良く空いていてそれなりにペースも上がってゆく
高瀬川沿いの県道から高瀬川の支流である籠川沿いの県道を遡る
途中2台の大型観光バスを追い抜いた
この先にある扇沢駅が目的地であろう
幾つかのスノーシェッドやロックシェッドを抜けて扇沢駅に到着

到着してみるとすでに人があふれている
聞けば、6時半からの始発便から満車の状態であるとか…

室堂までの往復券を購入
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とにかくすごい人だ
7時30分発の便に乗る人の流れに紛れた
長野に来て、乗り物に乗るのに並ぶなんて初めてだ(東京では当たり前だったが…)
迫る発車時間に、扇沢駅の写真を撮るのを忘れた…

トロリーバスに乗り込み関電トンネルをくぐって行く

途中、80mの破砕帯を抜ける
長野側からの資材搬入用の大町トンネル(関電トンネル)を掘削する際、1番の難所となったところだ
1956年8月6日に着工し、翌4月20日に破砕帯にぶつかった
それまでは日に約7m掘り進むという順調な工事も、このわずか80mの破砕帯を突破するのに216日を要し、日に約40cmしか進まずにいた

当時の社長が現場の最前線に入って檄を飛ばし、沈滞する空気を変え、また関電の本社でも「鉛筆一本紙一枚まで無駄にするな」とまさしく全社一丸となって難局を乗り切ったという

今のトンネルからは、当時の困難を偲ばせるものはない…
80mの破砕帯も、トロリーバスはほんの数秒で走り抜けて行く

今から半世紀も前にあった話し
「黒部の太陽」という映画にもなった

戦争でなにもかも無くしてしまった日本人が、死んで行った仲間に対してしてみせた約束の証し
東京タワーの建設にも、当時世界最大のタンカーを建造したのも、新幹線を造ったのも、根底にはきっと同じ思いがあったに違いない…