色々な人間関係で、
沢山の方々とそれなりに浅く深くお付き合いしていて、最近感じることがあります。


あくまでも、わたしという個人の目線での感覚
なのですけれど、、、


本当の魅力や価値ってね、、、


表面にある分かりやすいものではなく、
その内側や奥のほうに、
どうやっても変え難いような
その人、
その物ならではの
性質や個性、魅力や物語といったものなのでは
ないかと思います。


なのですが、
一生懸命にその表面の分かりやすいもので
承認欲求を満たそうとアピールしようとすると、
かえってその人や物の
価値が損なわれてしまうことが
あるように思います。


友人に、年齢がウソのように
チャーミングな性格で
魅力的なひとがいるのですが、
誰に聞かれているでもないのに
毎度自分のモテ話しなどを
ちょっと脚色を足して話してしまう、、、

それは自信の表れなのか、
むしろその逆なのか、、、

わたしのような心理学オタク的には
興味深いところなのですが、
彼女をよく観察していると、
エベレストのような高いプライドと、
海溝のように深い不安感と
両方を抱えているようです。


そしてそれがそのまま
自身の存在価値に紐づいてしまってる。


わたしは
存在価値に理由なんていらない
と考えてますが、
人間てそれぞれに多かれ少なかれの
不安を持って
生きてしまうものなのだと思います。


もちろんわたしも。




このアンティークの作品は
声高に自分の価値を叫んだり
アピールしたりはしません。

いや、叫びたくても叫べないんだけど😅

でも、
わたしにはものすごく魅力的で
価値があります。


タティングを知らない人からしたら、
汚れた糸の塊にみえるかもしれません。


だから、
長い時間のなかで処分されたり
消えてなくなっても
不思議ではなかったものです。


忘れさられるのは人間に置き換えると
恐ろしく悲しく寂しいことかもしれませんが、


価値を認めてこれを購入したのは
わたしの生徒さまで、
その方のおかげで、
この作品はきっとこれからも長く延命し
価値を讃えられ愛でられることと思います。


だから、アンティークの品を
骨董市やお店で購入し、救い出すことを
「レスキューする」と言うのですが、


レスキューした生徒さまを
心から尊敬してしまいます💛






わたし達は
人間関係においても、
表面ではなく、
その内側の価値や魅力を知ったとき
つながりに安心感がうまれます。

その価値や魅力は時間や加齢による
変化や移り変わりに左右されない
ずっと普遍的なもの。

わたし達タッターが、この作品の
汚れた見てくれより、
果てしのない丁寧な手作業や、
そこに織り込まれた時や想いに
圧倒され感動したりするように
きっと力強いものです。


糸の手仕事で
思わず人生を語ってしまいましたが😅


わたしは
人にも、
物にも、
内側の魅力をすくいだせる人になりたいと
そんな風に思う今日この頃です。