今日のオンラインレッスンは
アクセサリー作家志望のN様と
作品のコーティング実習をしました♪


オンラインでも
沢山のことが伝えられるなぁと
やりながらどんどん発見しています✨


インターネット環境を改善するため
先週から電機屋さんへ通い倒し
ネット調べして難しい活字の羅列を読み
なんとか
状況改善の目処が立ちました♫


スマホスタンドは
オンラインレッスンの生徒さまSさんから
お使いのものを紹介していただき
新しく新調して
ポチッとしたものが今日届きました♫


6月からのオンラインは
さらにサクサクといきそうです
(いっておくれ〜えーん✨)







さて
アトリエ時代の木炭デッサンを
カルトンからだして
久しぶりに眺めました


押し入れの断捨離進行中⭐️


もう30年経ちましたが
なかなか捨てられないものです


色んな家庭内の事情で
総合大学の美術科の推薦から


ガチの美大受験に
高校三年生の秋に
進路変更しました


次から次へ
美大を受けまくり
次から次へ落ちまくり
武蔵美の短期大学部に
かろうじて引っかかりました


受験シーズンの3ヶ月まえに
美大受験専門のアトリエに通い出し
初めて木炭デッサンなるものを
習いました


写真はその頃のものです


それまで半年ほど通っていた絵画教室では
推薦試験対策で
鉛筆デッサンを習っていて
「推薦でないなら現役合格は絶望的」
と言われましたが


自分の進路をなんとか
軌道にのせたいと
まさに髪を振り乱すくらいの勢いで
費用の安い
小さな美大受験のアトリエを見つけて
3ヶ月間通いました


本当に必死でしたが
今絵を見返すと
なんだかのんびりした絵だなぁと思います



ペーパーテストが
実技の不足を補ってくれたのだと
思うのですが
なんとか現役合格が叶いました
(美大受験生はお勉強しないで
実技のみで勝負しようとする人が多いため)


卒業後にアトリエを尋ねると
「3ヶ月合格の奇跡の人」
と呼ばれていたことが分かり


当の本人は
4年制に合格できず
コンプレックスの固まりでしたが


そういう見方もあるのかと
少し気が晴れたことを
覚えています


その本当に小さかったアトリエは
その後大きく拡大して
立派なビルに
沢山の美大受験生が通うように
なっていて


実際の現実の厳しさを
知ってる側からすると
沢山の受験生の姿に
くじけず希望があるようにと
祈るばかりの気持ちになりました



わたし自身は
その後もなんだか
ギリギリセーフな人生を
やっとこさっとこ
青色吐息で
歩んで来たような気がします





この木炭デッサンは

アルミホイルと電球を渡されて

「デッサンしなさい」

というお題でした



空から電球が降ってきて

延々と積み重なった様子を

木炭で描いてます



「結構いいけど
空間が無限で設定がないから
デッサンになってないので
ちょっとダメ」


講評を受けたのを
覚えています



わたしのような凡人で
一般的な感覚の人間には
意味不明なお題でしたが


そういう出題は
たびたびあり


東京芸大のデッサン本試験では
運動靴と粘土を渡されて
デッサンするようにお題がでて


吐き気がして熱が出てきて
医務室へいき
そして
帰宅しました



↑ベッド下へ

中途半端もぐり隠れている猫



タティングを始めた時

パターンの中で描かれる美しい世界に

ほっと安堵したのを

覚えています✨



父は

タティングレースという

いわゆる手芸の世界を軽くみており

娘に芸術の道を望んでいたので



デッサンしろ

デッサンしろと

ずぅっと言われてきましたが



ルーマニアの女王が

「ジ•アート•オブ•タティング」

という本を遺しているように



わたしにも

タティングレースは

素晴らしい芸術として感じられます



タティングのデザインは

本当に難しいし



決して浅くもなく

易しい道でもありません



深く探究する価値のある

美術であり芸術だと感じています






守破離

しゅ•は•り

という言葉がありますが



かれこれ14年ほど

なんやかんやと

タティングをしていますが



未だ

「守」の世界で右往左往し

ようやく

「破」の世界が

見えてきたかもしれないと

思えるくらいです