COLLAGE
#7 Going Way Back 前編 -将絢との高校時代-
1997年某日
僕と将絢は岐阜県の長良川にほど近い高校の中庭で、休み時間中にくだらない話しをして過ごしていた。
三階建ての校舎の窓には女子高生がずらりと並びキラキラした眼差しで将絢を上から眺める光景も三年生になった僕たちは見慣れていた。
将絢とは入学してすぐになんとなく会話することが多くなり、それ以来ずっと一緒にいた。
僕は彼がビジュアル的にそれほどまでにカッコいいということに気付いておらず、背の高い面白いやつだなとしか思っていなかったため気後れせずに仲良くなっていったのかもしれない。
僕が将絢に惹かれていったのは、彼のユーモアと美学にあった。
高校生ながら彼は当時60歳を越えたおひょいさんこと藤村俊二さんに憧れていた。白髪交じりの初老の男性の粋な身なりと振る舞いに影響を受けていた。
ほんとに変なやつだと思いながらも、いつも興味を持って話しを聞いていた。
彼は、「オレが物心ついて最初に覚えた言葉は”野暮ったい”だったことを今日のお前を見て思い出した。」と、言われている本人も含め笑わせた。
また、どこか影をもっているようにも感じた。
その決して鮮やかでないオーラも含め、彼の魅力は高校生の時にすでに完成されていたように思う。
それから二人は関西の大学にそれぞれ進学した。
僕はあっという間に退学してしまったが、彼は京都の美大をRomancrewの制作とライブをこなしながら卒業した。
彼は時間があるといつも本を読んでいた。
それもあるのか活動初期のリリックでさえ彼の雰囲気をそのまま言語化できていると思ったし、ラップスタイルも彼のイメージそのものだった。
僕は彼が褒められると素直に嬉しかった。
嫉妬心など高校時代から一度も生まれたことはなかった。
僕は彼の魅力がより多くの人に伝わって欲しいと思っていた。
お気付きの通りRomancrewに感じるグループの「雰囲気」は将絢によるところが大きい。
逆に言うとRomancrewからはみ出る部分について、他の三人は個々の活動で表現してきたように思う。
それほど彼の表現は一貫していた。
僕たちメンバーはそのことをよく理解していた。
それだけに将絢の脱退はとてつもなく大きな出来事だった。