COLLAGE 

 

#3  クラシックカー

 

2015年4月から僕は大阪にある大正時代に建てられた赤レンガ倉庫を活用したクラシックカーミュージアムの立ち上げメンバーとして働き始めた。

 

誰かのツテではなくネットでたまたま募集を見つけて、面接を経て正社員として入社させていただいた。

 

ここで社会人として未熟な僕にたくさんのことを教えていただき大きく成長することができた。

 

このミュージアムは200台以上のクラシックカーを所有しており、立ち上げメンバーの僕たちは次から次へと展示室へ運ばれるクルマを洗い展示した。

 

ロールスロイスやフェラーリから、コルベット、マスタング、昭和の名車までドキドキしながら運転席に座った。

 

ミュージアムがオープンすると僕はヨーロッパ車と日本車の担当として展示と車両販売を行なった。

 

とくに思い入れがあったクルマはジャガーEタイプとシトロエンSM、いすゞ117クーペだった。

 

もともと好きだった1950年代〜70年代のソウルミュージックやロックンロールの時代背景に重ね合わせながら、この曲が流れていた頃にはこんなクルマが流行っていたんだ、とかこのアーティストはこのクルマに乗っていたんだ、と思いを馳せながらどんどんクラシックカーにのめり込み、がむしゃらに日々働いた。

 

ミュージアムの開館前と閉館後の時間が僕は好きだった。

 

開館前に美しいクルマたちが静かに佇んでいるのを一人でしばし眺めるのが好きだった。

 

閉館後には電気を落とし非常灯だけが照らすアメリカ車の展示室で、ビリー・ホリデイを少し大きめにかけて休憩したりした。

 

ミュージアムでは同じ立ち上げメンバーで同い年の相棒JUNちゃんといつも一緒に行動していた。

JUNちゃんは運転がうまくて、アウトドア好きで、優しい心の持ち主だった。

彼は僕にないものをたくさん持っていて、とても影響を受けた。

閉館後の夜10時頃、まるで昭和の純喫茶にいるかのようなプリンス・グロリアの車内で「あのクルマのここがカッコいい」とか「こんなふうに歳をとっていきたいね」など語り合ったりした。

JUNちゃんはいま最高に美味しくてカッコいいドーナッツ屋さんのBirdというお店にいて今でも会いにいったりする仲だ。

 

そんな目まぐるしく充実した日々が過ぎていく中で、いつしか僕はもうラップは出来そうにないなと感じながら、クラシックカーとともにこのミュージアムで約4年間を過ごした。