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ものつくりの気付きのブログ ケアンズ移住生活

海外移住組、日本を外から見たブログ。
生業とするマクラメアクセサリ-のこと、日々の気づきのこと、世界の成り立ちのこと、この世で生き抜くヒントを一緒に探しませんか。

先月

13年間を共にした

愛犬マックスが

生涯を終えました。


子供たちが生まれる

ずっと前から

家族でいてくれた存在。


家と家族を

見守ってきてくれた。


ただ、いまは、

長かった持病の煩わしさから開放されて

ゆっくり休んでほしい。


今までありがとうと、

亡くなる前に

たくさん感謝を伝えられた。

大好きだった家で

看取ってあげることができた。


ただただ、

全ては完璧なタイミングで

起きていて、

何もかもが

温かく優しい思い出に

なっていく。


時空を漂いながら

思い出たちを

繋いでいき、

かけがえのない

"思い"を、

ここに残るものたちに

伝えていく。


命とは、

繋いでいくもの。


言葉では伝えきれない

“思い”を

伝えるために

生と死は

存在しているのかも

しれないとさえ思う。


それは、

命への

喜びに

他ならない。



命あるものは、

喜びを伝えるために

生を受け、

それらを

持ち帰るため

死を経験する。



だから、死とは

それぞれが経験した

喜びの集大成であり、

何をどう感じ

生きてきたのかを

表現するものでもある

 ように思う。


そして、

その死を見送る側は

亡くなった人の

“思い”を

受け取り、

それを自らの

“思い”と融和させ、

命を繋いでいく。


いのちは、

始まりであり

終わりでもある、

永遠の時を旅する

星々そのもの。




ちょうちょタコカエルコアライルカ猫犬ゾウ豚パンダねずみ牛トラうさぎ




息子たちも一緒に一生懸命、

地面に穴を掘って、

マックスを

大好きな家の庭に

埋めてあげました。



今までありがとう、

感謝を伝えながら

マックスがゆっくりと休めるよう

願いながら

穴を掘っていました。



掘っている間、

“根の国”

(古事記ではスサノオが

治めると言われる黄泉の国) 

というワードが

ずっと頭を巡っていて、

掘り進んでいくうちに

顕になってくる

地中の様子を見ていると、

ああ、なるほど、

生き物は亡くなったら

本当に土に還っていくんだなと、

納得していました。



かつて、人々の心には

恐怖というものはなく、

死は大きな流れのなかの

ひとつの泡のようなものに

過ぎませんでした。


そこに自己と他者の

意識の分離がおき、

愛するイザナミを失った(と思った)

イザナギは、

死を憎みます。

その感情は

イザナギのなかで

生への執着を生み、

同時に死への恐怖を覚えます。


その恐怖は、

朽ちていくイザナミの

肉体として表され、

結果として、

人類は

生と死を分け隔て、

死への恐怖のイメージを

創り出したのでした。


地中に象徴される

闇に対する恐怖は、

「根の国」という言葉を

つくり、

死者の世界としたのです。


ただ、それは

肉体が朽ちて土と混ざり合い、

新たな生命たちを育んでいくという

1つの通過点であり、

最終的な、いのちの終着点では

ないのです。


そもそも、

本当は終わりも始まりもなく、

終わりと始まりは

ひとつのものごとを

表と裏のどちらから

見ているかにすぎないのです。


姿かたちを変えようとも、

消滅することはなく、

目に見えるものも

見えないものも、

永遠に流動し、循環して

すべてがこの瞬間に存在しているのです。



ものごとを多元的に捉える。



あらゆるものごとには

おおくの意味が内包されていて、

どの次元に繋がるかで

ものごとから何を受け取るかは

変わってきます。



そしてまた、

人間も多元的存在であることを

忘れてはいけません。


生きるということは

新たな細胞を作り出し

死んだ細胞を排出すること。

生きていることは、

同時に死を経験することでもあるのです。



そして人は、

肉体、精神、魂という

多元的なものが

重なりあって存在しています。

どの次元も人間にとって

欠かせない存在で、

それぞれがバランスを取り合うことで

この世で生を経験しているのです。


多元性が見えてくると、

ものごとをただ、

良い、悪い

幸せ、不幸

正しい、間違い

などの

二元的なとらえ方から

抜け出し、

そのどちらも

真実である、

と受け止められる

達観した視点を

持つことになります。


それは、

相反する(と人間には見えている)

ものごとの、

どちら側も

人間とともに

存在していることを知ること。

どちらかを否定することでは

決して得られないものです。




みずがめ座




マックスが亡くなって

約一ヶ月。

ようやく犬のいない

生活に慣れてきました。


悲しみは少しずつ薄れていきますが、

勇敢に死に立ち向かった姿は

ずっとずっと大切にしたい

かけがえのないギフトです。


そのギフトを受け取った側は、

この世を去るとき

また新たに

ギフトを託し、

その繋がりは

延々と続いていくのです。





死とは?

生を見つめるもの。

人間は

死を意識せずして

悔いなく生きることはできない。

それは

神と人間との

関係にも似ている。





今でも、いつまでも、

そばにいてくれる気がしている。

生を見つめる

死の存在。


それは神そのもの。


悔いなく生きよ、

瞬間を生きよ、

死をみつめよ、

と、


心に深く深く

刻み込んでくれた。




家族でいてくれて、

ありがとう。

大切な大切なギフトを、

ありがとう。




感謝とともに。




すべては光。



星