私と夫の8年3か月 その72 番外編⑪ オリンピックですね | 野に咲くすみれ(r-m-m-mama-2)のブログ

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 パリオリンピックが始まりましたね。オリンピックと聞くとちょっとだけ胸がざわざわします。

 

 夫は2022年の2月、冬の北京オリンピックの最中に旅立ちました。

 胸膜癒着術を受けるために入院していた夫は、開会式の次の日に胸膜癒着術を終えて退院してきました。

 

 退院して在宅になったらテレビしか楽しみはなくなるだろうからと思ったんだと思います。入院中に「テレビを大きなものに買い替えてベットから見やすくしたい。8Kが欲しい。無理なら4Kでもいいけれど。」と連絡してきました。そして「今のビデオ(古い言い方しかできない私です)は2チャンネルしか録画できないから、もう一つ録画するときは2階のビデオで録画しているけど、もう体力的に2階には上がれないだろうからついでにビデオデッキも3チャンネル録画のものに買い替えてほしい」とも。3チャンネル録画にしないと私が見たいものが録画できないと心配したようです。ずっとベットだから自分の見たい番組を優先させてほしかったんでしょうね。

 

 まだ壊れていないものを買い替えることにはとても迷いもありましたが、幸い夫の車を処分したお金があったのでそれを使って希望をかなえました。さすがに8Kは100万くらいかかる上に8Kの番組もほとんどないということで4Kにしました。ビデオも3チャンネル録画できるものにしました。

 

 ウインタースポーツが大好きな夫でしたので、北京オリンピックを大画面で見れたらうれしいだろうとわたしもワクワクしていました。

 でも、実際はずっと寝ていました。ウトウトしている、が正解かもしれません。スキーの大回転やジャンプなどをつけてやるんですが、ちょっと見るとまた寝ています。自分から起きるときは、痛みで目が覚めて医療麻薬の頓服を飲みたい時とモーラステープを貼ってもらいたい時だけでした。そのころはよく、首が痛いと言っていました。私はほかの方のブログで医療用麻薬にテープもあることを知ったので、次の通院で、それももらって来ようと思っていました。

 

 ほとんど食事もしていませんでしたが、食べろとは言わないでほしい、いつ、どのくらい、食べるかは自分で決めるからと言われていたので本人の言うようにしていました。このことには後悔はありません。食べれないときに食べてほしいと言われるのはすごくつらいと思います。子供たちがいるときは、わずかな時間でも何とか食卓についてくれていました。

 

 ただ、夫の死期を見誤って最後の最後にきちんと見送ってやれなかったことは後悔しています。在宅医療も明日から始まるという時に亡くなってしまいました。「1か月以内ということはないと思いますが、2か月後かもしれないし、もっとずっと先かもしれません。でも、1年後にほもう難しいでしょう」と年末に主治医に言われていました。わたしはもちろん、いいほうを信じていました。でも、その日は2か月後にやってきました。

 

 どんな看取りにも後悔はあります。それはもう絶対にやり直せないからですよね。次はもっとうまくできる気がするけれど、もう次はない。それにもう一度はつらすぎます。

 

 自分が闘病ブログで本当に助けてもらったので、同じがんの方のなにか参考になればと思いこのブログをはじめました。8年3か月とタイトルに入れたのは、夫が闘病していたころは、10年生存率0パーセントといわれ、5年生存率も手術しても23パーセントといわれたこの厳しいがんで、2度も手術を受けた人がいたこと、8年戦った人がいたことで少しでも希望をもってもらえたらと思ったからでした。時間稼ぎをできれば次の治療法にたどりつけるかもしれませんから。

 

 実際、夫が亡くなって1年後には新薬も承認され、今まで使えなかった抗がん剤も使えるようになり重粒子線も保険適用になりました。条件があるので、だれでもが使えるわけではないでしょうが、でも、大きな希望だと思います。そしてきっと生存率は上がっていくと思います。

 

 ほとんどが一度書いたのと同じ内容で、どんどんとりとめもなくなってしまいました。

 オリンピックというだけで、またいろいろ思ってしまう今年の夏です。