また、この翌日18日には資金為替部の同僚であり入行同期の山辺の社宅に、ジンギスカンをご馳走になりに行った。山辺の結婚式についてはブログ”1990年4月-3”を見ていただけると有り難い。
彼らは行徳のアパートに住んでいた。奥さんの仁美さんも初めての首都圏暮らしで最初は何かと戸惑ったようだが、もうすっかりこの地の暮らしになじんでいた。
山辺は農学部卒業だけに、決して広いとはいえない社宅のベランダにプランターを設置して、トマトやキュウリなど何種類もの野菜を育てていた。これには感動した。家庭菜園のおかげで野菜はあまり買わなくても済むという。彼の体はコンクリートづくめの大都市にあったが、心はいつも北海道の大自然を飛び回っていたようだ。
余談ながら。
ジンギスカンというと、どうしても思い出すのが洋楽の「ジンギスカン」。モンゴルのチンギス・ハーン(成吉思汗)をモチーフにしたこの曲は西ドイツ国内で大ヒットし、さらに世界的な大ヒットとなった。
【以下、歌詞概要】
彼らは最も速い馬に乗っていた、風を後ろに置き去りにした、千人の男が
そして1人の男が道へ導いた、他の人は盲目に付いて行った、ジンギスカン
彼らは山々と砂漠の砂地を大急ぎで駆ける、
彼らは大地に渡る荒廃を運んだ
そして この世界の誰もが彼らを止められなかった
以下省略
歌詞、以上
第二次世界大戦前後、世界中の多くの国々で、カリスマ的な「1人の男」に他の人が盲目的について行き、何万人という人たちが命を落とした。そのような話はかつてのソ連とか中国とか、枚挙にいとまがない。怖いことに、それは今も形を変えながら、続いている。
山辺夫婦とジンギスカンを食べながら余市ワインを飲みたくなった。