10年やれば誰でも、ものになる。
ー 吉本隆明
略歴:思想家、詩人、評論家。「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。作家の「よしもとばなな」は次女。宮沢賢治、高村光太郎らの影響で詩作を開始。東京工業大学大学院特別研究生。東洋インキ製造株式会社に勤めるが、労働組合運動により退職した。1960年安保において、先鋭牽引した全学連主流派に積極的に同伴。1984年、女性誌『an・an』誌上にコム・デ・ギャルソンを着て登場。資本主義への転向批判を受けた。
十年ひと昔と言いますが。何かを始める時は十年はとてつもなく長く思われ、いざ十年経ってみるとあっと言う間だった…中高年の方は実感として、そう感じられるのではないでしょうか。この前、生まれたと思った子供がもう就職だとか結婚だとか。時の経つのは本当に早いものです。
どんなことにせよ、やり続けることが大事ですね。年季が必要です。それは見方を変えれば、苦労の経験値と言えるかも知れません。同じ仕事を十年やっていますと、ほとんどの厄介なケースを経験済みとなる。お客さんから無理難題を言われても、「あぁ、あの時の話と似たような話だな。」と余裕を持って対応できます。
この言葉から学べることは二つありますね。
一つは、年季の浅い人は先輩の言う言葉に素直に耳を傾けろ、ということです。何だかんだ言っても、経験豊富な人の言葉はこれまでの苦労に裏打ちされています。先輩自身の失敗体験から、その教訓は生まれています。先輩自身の反省に基づいて、後輩を教えようとしているのです。
もう一つは、先輩は年季の浅い人の言葉を素直に聞け、ということです。先輩の十年の経験は貴重なものですが、時代は変わっています。過去十年の経験は、今はもう通用しないかも知れません。昔ながらの手法は、今やその効力の大半を失っている可能性があります。
「10年やれば誰でも、ものになる。」それは先輩の前の大先輩から先輩、後輩、そのまた後輩に引き継がれる、智慧と経験の壮大なる遺産なのでしょう。人はそうやって、どうしても伝えたいことを、先輩から後輩へと伝えてきたのではないでしょうか。それが無ければ、今の人類の繁栄はないと思います。
私達は誰もが、貴重な人類文明の架け橋なのですね。先人の築いた宝をしっかりと我がものにし、子孫に手渡して行きたいものです。