新潮社
京都の人が「さきの戦争」というのは応仁の乱という話を聞いたことがあります。
なのに、「さきの」太平洋戦争で、京都が原爆投下の候補地だったなんて、はじめて知りました。
京都の盆地地形が原爆開発チームにとって魅力的で、そこに投下したらどんな効果が得られるかぜひ知りたかったというのです。
京都に焼夷弾を降らせなかったのも、「原爆の威力を試すためだった」というのも、本当なら恐ろしいことです。
戦後、東京に進駐軍がやってきて、旧第一生命館や明治生命館を接収したことは知っていました。
京都でも同様に進駐軍がやってきて、建物を接収していたというのは、意外な感じがします。
ちょっと考えれば、日本全国占領下にあったわけですから当たり前といえば当たり前なのですが。
大丸デパートは接収されそうになると、代わりに創業者の家を提供します。
その建物が今も御所の近くに残る「下村ハウス」
敷地3,000平方メートル、地下1階、地上3階の豪邸には司令官が居を構えますが、彼が出たあとの部屋はバスタブが黄色、壁がピンクに塗り替えられていたそうです。中を見ることができた人が「信じられない色彩感覚で、驚愕しました」とおっしゃっています。
進駐軍はさらに米軍住宅建設を計画し、その用地として御所を狙っていたようです。
しかし、京都人にとって「天皇さん」がお戻りになる御所だけは死守したいところ。
かわりに植物園を提供します。
ほとんどの市民は高い塀で囲まれた敷地内でどんな暮らしが営まれているか知らなかったそうですが、やぶ蚊対策で強力な薬剤が撒かれ、池の魚も岸辺の植物も全滅と、悲惨な状況だったようです。
市街地から離れた場所にある上加茂神社
ここはゴルフ場計画をもとに土地が接収され、御神木がばっさばっさと切られたそうです。
「木を切って芝生を植えてきれいに整備するのだ」と、主張するのはお国柄の違いでしょうか。
それでも京都に来たアメリカ兵の多くは若い大学生で、日本の文化が気に入ってしまった人も多かったそうです。
彼らが座禅や茶道を習いに来たという話もあって、京都の魅力をわかる人もたくさんいたのでしょう。
著者の秋尾沙戸子さんはテレビの報道番組のキャスターなどをされていたジャーナリストです。
東京にいては京都のことはわからないと、京都で、しかも和服で暮らして日本文化に対する理解を深めるなど、自らの暮らしから当時を理解しようとします。
宮中行事、神事、祭りなどに参加し、少しずつに京都の世界に入り込み、「よそ者」にはなかなか明かされない証言を古老からも引き出しています。
目からうろこの一冊でした。
おつき合いありがとうございます。