日経の記事で知りまして

 

「浅井忠、あちこちに行く」って、タイトルがいいじゃない。

 

浅井忠

 

またしても、いつどこで何をした人なのかまったく知らないのです。

 

美術の教科書にも載ってるらしいけど、「美術に教科書あったっけ」という世界観。

 

記事によると、「日本の絵画・工芸の近代化に先駆者な役割を果たした画家」

正岡子規とも親交があり、漱石の「吾輩は猫である」の雑誌連載には挿絵も描いていたんだって。

 

行かなくちゃ。

 

 
浅井忠(1856-1907)
佐倉藩士の息子として、江戸・木挽町で生まれ、少年時代は現在の千葉県佐倉市で過ごした。
 
浅井青年、まずは東京へ
 
〈本所風景〉鉛筆

 
 

 
筑波山、鎌倉、房州など、あちこち旅をしていて、旅の日記がスケッチとともに展示されています。
日記は美術館のホームページで公開されてます。
 
 
〈本と花〉水彩

 
その後、従軍画家として、平城へ
 

〈平壌大同門図〉
 
 

〈金州城南門外〉
 
 
さらにフランスへ
 

〈グレーの塔〉
パリ近郊、フォンテーヌブローの森の南端に位置する、グレー・シュル・ロアン(Grez-sur-Loing)の教会を描いた作品です。
 
 

旅先から送った絵葉書
 
これがたくさん展示してありました。
フランスでも近郊に出かけてスケッチをしたり、日記を書いたり、絵も描いてるんですが、
さらに絵葉書まで。
 
こういうのをもらったらうれしいだろうなあ。
 
 
現地のモデルさん

〈編みもの〉
 
 
1902年に帰国後は、京都高等工芸学校の先生となるほか、1903年には聖護院洋画研究所を開いて、後進の育成にも尽力します。
 
アール・ヌーボーにも関心を持ち
 

 
陶芸・漆芸など工芸作品のデザインも手がけ
 

 
 

 
 
奈良や淡路島など、本当にあちこち行ってるんですが、どうしてこんなにたくさんの作品を作れたのかとおどろきます。
 
もしかして、移動時間も描いてた?
 
 
 
 
日本画も
 
 
日記や書簡、弟子たちの作品も含めて350点。
お弟子さんの梅原龍三郎の絵は好みでした。
 
 
帰ってから調べたら、なんと『三四郎』の深見画伯のモデルなのかもしれない。
 
 
 
わたしのイチオシ!

〈若葉〉
パリ時代の水彩画です。

 

 

 

おつき合いありがとうございます。