2020年7月30日

NHK出版

670円+税

 

簡単そうで案外難しいこと、いろいろありますね。

 

例えば・・・

 

思いつきません(笑)

 

 

 

高橋源一郎さんがこの本で試みるのは、「読む」を考えること。

 

ふだん、何気なく読んでる「文章」って、本当に読めてるのか、何をどう読んでるのか、また、読まされているのか

 

いろいろ考えさせられます。

 

 

〈はじめに〉で紹介されるのは、リチャード・ブローティガンの『ロンメル進軍』という詩集の中にある「1891-1944」

 

 

タイトルだけの詩です。

 

 

1891-1944は「砂漠の狐」と呼ばれたナチス・ドイツの英雄、ロンメル将軍の生没年。

 

この詩を高橋さん独自の妄想で読んでいくのですが、これこそが読書の醍醐味と感じるふくらませ方です。

 

冒頭から揺さぶられつつ、1時間目の「簡単な文章を読む」で紹介されるのは、オノ・ヨーコの『グレープフルーツ・ジュース』

 

最初のページには

 

「ぼくがこれまでに燃やした本の中で

これが一番大事な本だ。

―ジョン・レノン 1970年」

 

とあるそうです。

 

ジッドの『地の糧』を思い起こすではないか。

 

 

2時間目の「もうひとつ簡単な文章を読む」では、鶴見俊輔『「もうろく手帖」後篇』を読みます。

 

3時間目の「(絶対に)学校では教えない文章を読む」では、永沢光雄『AV女優』

教えないだろうなあ

隠れて読みたい内容です。

 

4時間目「(たぶん)学校では教えない文章を読む」:坂口安吾『天皇陛下にささぐる言葉』

 

5時間目「学校で教えてくれる(はずの)文章を読む」:武田泰淳『審判』

 

教科書に載っている作品や「こくごの手引き」からの引用もあり、私たちが、何をどう読むように教育されてきているか、ぼんやりと考えることができます。

 

例えば、高橋さんは『あたらしいこくご 一 上』(東京書籍)に最初に載せられている〈詩〉を紹介し、「ニッポンの子どもたちは、いきなり「みんな」という言葉を二回も読まされるんだ!ってびっくりしました」と感想を書きます。

 

「ぼく」や「わたし」じゃなくて「みんな」なんですね、と。

 

 

たくさんの問題を産み出せば産み出すほど、別の言い方をするなら、問題山積みの文章こそ、「いい文章」だ、ということです。つまり、その文章は、問題山積みのために、それを読む読者をずっと考えつづけさせてくれることができるのです。

 

 

〈おわりに〉のタイトルは「最後に書かれた文章を最後に読む」

 

紹介されるのは、加藤典洋『大きな字で書くこと』です。

 

自分の中に二つの場所をもつこと。二つの感情をもつこと。その大切さ。それが、いま私が痛感していることである。

 

加藤さんが亡くなる2か月前に書いた文章。

 

たしか、この本は私も読んだのだけど、そんなに印象に残っていないんですね。

 

いつか読み直してみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おつき合いありがとうございます。