中公文庫
浴室へ入るドアは、いくら強くひっぱっても、半開きにしかならぬ。
なぜなら
ドアの前に「横積みの本が立ちはだかってい」るから
あるとき、著者の草森氏は、その隙間から風呂に体を滑りこませようとして、うっかり本にぶつかってしまう。
結果、積んであった本が崩れる
1か所崩れると、連鎖反応でどんどん崩れ、崩れた本に阻まれて、風呂場から出られなくなってしまう。
この後、草森さんは吉田健一のドアノブが回らなかった話を思い浮かべたり、李賀の詩を思い出したり……
もしやこういう人を書痴というのでは?
本は、なぜ増えるのか。
買うからである。
やたらと本が増える理由の一つは「読書人」でなくなったから。
「物書きは、学者もふくめて、「読書人」といえない」そうです。
むかし、まだ「読書人」であったころ、けっして本を踏んだり、またいだりしたことはなかった。ところが床積みするようになってから、おそれ多し、と思ってなどいられなくなった。
本を蹴とばしたり、踏んだりするようになっちゃったんだって。
蔵書狂の人は別とし、読書が趣味なら、こうまで増えない。
たしかに……
カバーの写真も物すごいですが、本文ページ内の積み上がった本の写真も壮観。
平山周吉さんによる「あとがき」には、「書名や著者名の小さな文字を懸命に読み取ろうと試みた人種は、本書『随筆 本が崩れる』へのパスポートを得たと言えよう」とあります。
この山積みの本を見て、「自分なんかまだまだ、もっと本を増やしても大丈夫」と思うか、「いや、本なんかいっぱいあってもどうせ読めないし、このくらいでやめておこう」と思うか。
あなたはどちらですか(笑)
ほかに、自身の野球少年時代をつづった『素手もグローブ』、ヘビースモーカーっぷり全開の『喫煙夜話』なども収録されています。
どちらも私には興味ない話ですが、なぜかおもしろくてページが進みます。
まっとうな「読書人」の楽しみを捨てて、「書く人」になった著者のすごみを感じます。
おそらく、私には書物を読みかつ所有することに対する、劣等感が根深くあるにちがいない。本を読まない人間にたいして、すなわち本を読まないでも生きていられる人間に対して、はかり知れぬひけめをいつも感じる。
おつき合いありがとうございます。