ドルチェさんのご紹介です。

 

書評661-死刑執行人サンソン/安達正勝~国王ルイ16世の首をはねた男の物語

 

 

2003年12月
集英社

 

 

本書の主人公、シャルルーアンリ・サンソンは、代々、パリの死刑執行人を務めるサンソン家四代目の当主です。

 

かつてパリには、ほかのヨーロッパの都市と同じく、世襲の死刑執行人が存在し、パリの処刑人は「ムッシュー・ド・パリ」と呼ばれていたそうです。

 

サンソンは敬虔なカトリック教徒で、国王を崇敬していました。革命には賛成でしたが、王政が廃止され、ましてや国王が処刑されるなど、現実にはないと思っていました。

 

そんな彼が王・ルイ16世を処刑しなければならなくなったとき、彼の苦悩にはただならぬものがありました。

 

 

ギロチンが考案されるまで、処刑はかなり残虐なものだったそうです。

 

ギロチンは、人を苦しめることなく処刑するため、人道的配慮から考案されたものでした。

 

刃の形状はもともと丸いものでしたが、斜めのほうがすっぱり切れるというルイ16世自身の言葉により、あのような形になったというのは何とも皮肉なことです。

 

はじめ死刑廃止論を唱えていたロベス・ピエールがのちに恐怖政治を行い、多くの人を断頭台に送り、自分もその露と消えたというのも、また皮肉な話でしょう。

 

あまりにも簡単に人の命を奪うことができたギロチンにより、「結局、1794年7月のテルミドールのクーデターで恐怖政治に終止符が打たれるまでに、シャルル―アンリは二千七百数十人の首を落とすことになった」といいます。

 

「自分の職務は犯罪人を社会のために罰する正義の行為だと自分に言い聞かせ、そう自分に信じ込ませていた。そうでなければ、死刑執行人としての尊厳を保ち、世間の偏見と闘えるものではなかった」

 

死刑執行人として、誇りを持って仕事をしていたサンソンでしたが、一族を見る世間の目は厳しいものでした。忌まわしい職業として、嫌われていたのは、歴史的に特殊な仕事についていた人々をいつまでも差別している日本と同じでしょう。

 

 

死刑制度に対して、執行する人の気持ちは考えたことがありませんでした。

 

誰かがやらなくてはならない。

 

そう考えると、嫌じゃないですか?

 

 

シャルル―アンリが手にかけた人々の中には、顔見知りの人も少なくありませんでした。たとえば、ルイ15世の最後の公式寵姫であったデュ・バリー夫人。

 

彼女が、若き日のシャルル―アンリの恋人だったというのは驚きでした。

 

 

 

フランスでは、1981年、死刑制度は廃止されたそうです。

 

 

 

 

 

ドルチェさん、ご紹介ありがとうございます。

 

皆さん、おつき合いありがとうございました。