1938年2月25日第1刷発行

1990年4月16日改版第1刷発行

2022年11月4日第43刷発行

 

 

吾輩は猫である。名前はまだない。

 

この有名な書き出ししか知らなかったの、私だけでしょうか?

 

こんなにおもしろい本をなぜ今まで読まなかったのか。

 

さかのぼること数十年前。

小学校5年生ぐらいのときでしょうか。

 

そんなときがあったのかって?

あったのですよ。

 

松本伊代だって、16歳のときがあったんだから。

 

『吾輩は猫である』を読み終わった、友人、T子ちゃんが言いました。

 

T子「この本すっごくおもしろかったよ」

私 「へえーそうなんだ」

T子「でもね、最後、猫が死んじゃうの。そこはちょっとかわいそうだった」

 

どっへーん

 

猫が死んじゃうなんて、なんて恐ろしい小説なの

そんなもの読んで、化けて出てきたらどうするんだ?

 

なあんて幼い私が考えたかどうかは忘れましたが、そのころの私は、誰かが死んじゃうお話が嫌でした。

 

伝記もたくさん読みましたが、最後はみんな死んじゃって終わりじゃないですか。

それが後味悪くて……

 

ところが、偉人イエス・キリストだけは、復活するんですよ。

なんていいお話なんだ!と思ったものでした。

 

それはさておき

 

『吾猫』

 

あるとき、 英語教師・苦沙弥先生の家で飼われることになった、名前のない猫「吾輩」

 

 『ほととぎす』に俳句を投書したり、『明星』に新体詩を出したりする 苦沙弥先生は、漱石自身がモデルなのか、胃が弱く、癇癪もちです。

 

この先生の友人、迷亭(めいてい)、教え子の寒月、そのまた友人、東風などが、次々と訪れ、先生と何だかんだするのがとても楽しいです。

 

寒月君の縁談話から、近所の金持ち、金田君とすったもんだもあり。

 

悩める苦沙弥先生を諭す、自己啓発本の著者みたいな八木 独仙(やぎ どくせん)君もなかなかの曲者です。

 

迷亭(めいてい)君はふざけているようで、「文明が進むと人は結婚しなくなる」なんて話をし始めて、今の時代の預言みたい。

 

「吾輩」が思いを寄せる「三毛子」の飼い主は二絃琴の御師匠さんです。

この人、「天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先の御っかさんの甥の娘」と、凝った設定で、何回読んでもよくわからない(笑)

 

落語みたいな書きっぷりで、文明社会をおちょくります。

 

いろいろ出てますけど、私は今回、岩波文庫で読みました。

 

角川の「かまわぬ」シリーズは、文字がちょっと詰まり気味の感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

おつき合いありがとうございます。