昭和45年12月10日初版発行

KADOKAWA

 

 

八年まえのことでありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過ごしたことがあります。

 

 

昭和9年7月末から約1か月、太宰治は三島で過ごしたことがあるようです。

 

 

小説の中の「私」が友人3人を引き連れて降り立った三島駅は「田畑の真ん中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真っ暗闇」とあります。

 

当時の三島駅は、今の御殿場線・下土狩駅にあり、ちょうどこの年の12月に丹那トンネルが開通するまで、市の中心地には位置していませんでした。
 

 

◇◇◆

 

 

三島では、街中あちこちで湧き水が湧いています。

 

今の三島駅から少し歩いたところにある白滝公園


 

水が白滝のように湧くことからなずけられた公園内は、溶岩で足元がでこぼこしています。


この水が注ぎ込む桜川沿いを歩きます。

 

 

透き通った水

 

 

鴨が泳ぐ
玄関先ですよ!
 
 

川沿いの家は全戸橋つき
ぜいたくな感じです。
 
水辺の文学碑
 
この地を舞台とした作品の一部や訪れた文人の句
当地を題材としたエッセイなどがつづられています。

太宰治『老 ハイデルベルヒ』の碑もあります。
 
 
10分くらい歩くと三嶋大社です。
 

 

暑い中、たくさんの人が参拝しています。

 

 

頼朝が百日の日参をした折、休息したと伝えられる石

右の石は北条政子用

 

 

「ご自由にお掛け下さい」とあります。

 

 

 

 

空の青がきれいです。

 

 

奥~のほうに富士山が見えるのわかりますか?
 
この日、ちょうど登山家の三浦雄一郎さんが登頂されていたようです。
 
 
源兵衛川
 
駅前にある「楽寿園」に湧く富士山の伏流水が源流です。
4月、5月にはゲンジボタルが飛び交うそうです。
 

 

 

この橋の横に有名なうなぎ屋さんがあって

朝から行列してます。

 

川には飛び石やベンチが整備されていて散策することができます。
全長1.5キロメートル
 
 

 

 

市内を走り修善寺まで行く、伊豆箱根鉄道駿豆線

 

 

「いずっぱこ」はじめて乗った。

 

 
◇◇◇

 

 

『老ハイデルベルヒ』は、「八年まえ」の回想で始まる十数ページの作品です。

 

 

三島は、私にとって忘れてならない土地でした。私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言っても過言でない程、三島は私に重大でありました。

 

その後、作家は、妻と妻の母、妹を連れて、再びこの地を訪ねます。

 

「いい所なんだ、とてもいい所だよ」といって、みんなを案内するうち、すっかり色あせたまちにがっかりして、「けわしい憂鬱に落ち込んで」いく様子が、哀れでもあり、おかしくもあります。

 

変わったのは三島のまちだったのか、彼自身だったのか。。。

 

タクシーの運転手さんの話では、三島は戦災を免れたため、市内の道は戦前からあまり変わらないとのこと。

 

言われてみると、たしかに狭い路地は思わぬ方角へとすすみ、方向音痴の私を悩ませるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

おつき合いありがとうございます。