昭和45年12月10日初版発行
KADOKAWA
八年まえのことでありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過ごしたことがあります。
昭和9年7月末から約1か月、太宰治は三島で過ごしたことがあるようです。
小説の中の「私」が友人3人を引き連れて降り立った三島駅は「田畑の真ん中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真っ暗闇」とあります。
当時の三島駅は、今の御殿場線・下土狩駅にあり、ちょうどこの年の12月に丹那トンネルが開通するまで、市の中心地には位置していませんでした。
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三島では、街中あちこちで湧き水が湧いています。
今の三島駅から少し歩いたところにある白滝公園
水が白滝のように湧くことからなずけられた公園内は、溶岩で足元がでこぼこしています。
この水が注ぎ込む桜川沿いを歩きます。
市内を走り修善寺まで行く、伊豆箱根鉄道駿豆線
「いずっぱこ」はじめて乗った。
『老ハイデルベルヒ』は、「八年まえ」の回想で始まる十数ページの作品です。
三島は、私にとって忘れてならない土地でした。私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言っても過言でない程、三島は私に重大でありました。
その後、作家は、妻と妻の母、妹を連れて、再びこの地を訪ねます。
「いい所なんだ、とてもいい所だよ」といって、みんなを案内するうち、すっかり色あせたまちにがっかりして、「けわしい憂鬱に落ち込んで」いく様子が、哀れでもあり、おかしくもあります。
変わったのは三島のまちだったのか、彼自身だったのか。。。
タクシーの運転手さんの話では、三島は戦災を免れたため、市内の道は戦前からあまり変わらないとのこと。
言われてみると、たしかに狭い路地は思わぬ方角へとすすみ、方向音痴の私を悩ませるのでした。
おつき合いありがとうございます。