2016年7月14日

育土社

 

「自殺稀少地域」という言葉ははじめて目にしました。

 

世界各地には、自殺で亡くなる人がとても少ない地域があるそうです。

 

本書は、鍼灸師で精神科医でもある著者が、「五か所六回、日本の「自殺稀少地域」(自殺でなくなるひとが少ない地域)に行って、それぞれ約一週間前後宿泊したときの記録」です。

 

都会での日々の診療に疲れていたのか、「癒される場所を期待していた」森川さんは軽く裏切られます。

 

 

 人間関係は疎で多

 

はじめに訪れた自殺稀少地域・徳島県旧海部町では、人々の関係は「疎で多」

 

「あいさつ程度」「立ち話程度」というつき合いで、緊密さはなし。

 

というと、意外な感じもしたのですが、緊密な関係性というのは、一歩間違えると、排他的でもあり、そこに入れないと孤立することもあるわけです。

 

この地域では人間関係が密でないから、誰とでも立ち話をして、「はい、さようなら」とできる、「さみしくない」状況が成り立つようなのです。

 

 

 困っている人は助ける、自分で助けられなかったら、周りの人に相談する

 

困っている人を助けるのが当たり前という文化です。

 

滞在中、親知らずを抜いたばかりでそこに痛みを感じた筆者。

「周囲の人に相談するのではなくスマートフォンで近くの病院を検索」するも、近隣の病院はどこもやっていませんでした。

 

宿のおやじさんに事情を話すと、なんと82キロ先の病院がやっているから送ってくれると言うのです!

 

自殺稀少地域に共通することなのですが、「困り事」にはすぐ対応する、自分の手に負えなければ、ほかの人に相談して解決するということが、当たり前になっているようです。

 

 

 人生はなにかあるもんだ

 

冠婚葬祭、お金のトラブル、離婚に関わること

 

「人生にはいろいろあるもんだ」という前提で、町内会とはまた違う組織がゆるく運営されている地区もあります。

 

「当事者は、力がないときもある。悲しみに崩れているかもしれない。本人はそこにいたらいい。あとは周りがやる」という言葉はメンバーの一人が語ったものでしょうか。

 

問題に対する対処の仕方は2つあって

 

1つ目は問題が起きないように管理すること

2つ目は問題が起きたとき対応すること

 

1つ目の方法だと、ルールがたくさんつくられ、互いを監視するようになり、問題が起きたときに何が悪かったのか、犯人捜しが始まるという指摘になるほどと思いました。

 

おそらくどちらも対策としては必要で、両方のバランスが大切なんでしょうね。

 

 

 自分がどうしたいか

 

タイトルの「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」という言葉は、伊豆七島の神津島にほかの島から移住してきたという若者が語ったものです。

 

この島のひとたちは、いい意味で人に左右されない。

 

自分が助けたいと思うから助ける。

 

自分の考えがしっかりしているから、「人にも人の考えがある」ことを尊重できるというんですね。

 

「人が多様であることをよく知っているから、みんなと違うものへの偏見が少ない」

 

「自分をしっかりともっていて、それを周りもしっかりと受け止めている地域である」ということです。

 

◇◇

 

筆者は東京で高齢者を主体に認知症患者などの診療をしている精神科医です。

彼の旅の記録を読んでいて、ハッとする言葉にたくさん出会いました。

 

地域を変えていくということはなかなか難しいですね。

でも、近所の人とあいさつして、立ち話するぐらいはできそうです。

 

 

相手は変えられない、自然は変えられない。

変えられるのは自分。

だから、工夫をしよう。

受け入れよう。

ありのままを認めよう。

そして、自分はどうしたいのかを大事にしていく。

 

人生は、短いのである。

生きてそして必ず生を終えるときがある。

さまざまなことがある。

それを間近でみている。

(175ページより抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おつき合いありがとうございます。