亀山郁夫さんがせっかく訳してくれたので読んでみました。
『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』の間に挟まれ、五大長編の中で「もっともつまらない」、「失敗作」とまで言われる『未成年』
そんなこともありませんでしたよ。
【あらすじ】
地主貴族ヴェルシーロフが、農奴の妻ソフィアに産ませた子・アルカージー。生後まもなく親類に預けられ、寄宿学校で成長する。その後、高等学校に進学するが、自分の「理想」を実現しようと、大学進学をあきらめる。そんなある日、父親から声がかかり、彼が住むペテルブルグの家で暮らすようになる。父ヴェルシーロフは、遺産相続の係争に関わっていて、アルカージーは、その行方を左右する手紙をある人物から預かっていた。
小説は若きアルカージーの「手記」という形をとります。
経験のない彼から見た人物・事件の描写が、物足りなさを感じさせるのかしら。
物語の背景には、ひとつの時代が終わる混沌とした世界もあります。
この歴史的背景がわかると、もひとつおもしろそうです。
ということで、こちらも読んでみました。
司馬遼太郎が『坂の上の雲』と『菜の花の沖』を執筆する中、おそらく膨大な資料にあたって考えたことをまとめたものです。
自分がロシアについてなにも知らないということが、よくわかりました・・・
で、時代背景は無視して(無視するんかい)、この物語はアルカージー君の成長の物語として読んでもいいんじゃないかなとも思うのです。
ドストエフスキーさんもさすがにわかりにくいと思ったのか、アルカージ―君が書いた『手記』の感想という形で、ある人物の『手紙』を結びにおいてるんですね。
そこには、「あなたがお書きになったこうした『手記』は、未来の芸術のための素材、未来の絵巻―無秩序ながらすでに過ぎ去った時代の図を描く素材として、役立ちそうな気がします」とあります。
この小説は、『カラマーゾフの兄弟』に続く、重要な下地なのかもしれません。
そして、これを少年の成長の物語として読むと、私には『海辺のカフカ』(村上春樹/2002年)が思い起こされます。
アルカージーは実際には父親を殺してないけど、ヴェルシーロフは最終的に彼を脅かすものではなくなります。
父親の運命の女性で、アルカージーが好意を寄せるアフマーコワは佐伯さん?
ヴェルシーロフの中に現れるジョニー・ウォーカーっぽい気質にも共通性を感じます。
(どうでもいいんですけど、ジョニー・ウォーカーって、川端康成が亡くなったときに枕元にあったお酒じゃないですか?)
少年が大人になるには、父を殺して、母を犯さざるを得ないのでしょうか。
もちろん、精神的な意味でです。
最近は「殺すべき父」も、「犯さざるを得ない母」もいないような気もするんですけどね。
今回、亀山さんの訳は意外とわかりにくいところもあって、新潮文庫も参照しながら読みました。
亀山さんの読書ノートによると、ヘッセでさえ、「初読の際には、ほとんどプロットをつかむことができなかった」とか。
そして、フランツ・カフカはドストエフスキーの作品中、特にこの作品を評価していたそうです。
光文社
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