本屋さんの哲学書コーナーで、なにげなく手に取ったかっこいい本。

 

阿部静子訳
2022年8月29日
月曜社
 
 

読んでみたらすごかった。

 

 

 

 

ある街角で、不安に襲われた私

酒場でぺルノー酒を呑みほし

サン=ドニ通りのいかがわしい界隈へさまよいこむ

 

「鏡の間」という娼館で

欲望にあえぐマダム・エドワルダに誘われるまま……

 

 

 

 

描写はえぐいんですが、ひしひしと伝わってくるのは、孤独。

 

そして生が行きつく絶望。

 

 

さらに光文社で読むことができた『目玉の話』では、子どもたちの遊びの延長のような性が、狂気に至る過程が描かれ、衝撃的です。

 

生田耕作訳のタイトルは『眼球譚』

 

光文社の訳者の中条省平さんは、あとがきで、谷崎潤一郎の『卍』や『痴人の愛』を連想すると書きますが、私が思い出したのは、同じ谷崎でも『少年』

 

短編集『刺青』の中に収録されています。

 

谷崎は1886生まれの1964年没、バタイユは1897年生まれの1962年の没ですから、そういう時代だったんでしょうか。

 

 

 

 

『目玉の話』の異様な内容は、バタイユ自身の生い立ちと関係があるようです。

 

『マダム・エドワルダ』を読みながら、わたしの頭にはエゴン・シーレの絵が浮かんでいました。

 

 

バタイユもエゴン・シーレも父親を梅毒で亡くしています。

 

 

2006年9月20日
光文社
 

お読みいただきありがとうございます。