「ニューギニアは、ほんまにええとこやで、有吉さん。あんたも来てみない?歓迎するわよ」
文化人類研究者として、ニューギニアの奥地でフィールドワークをする畑中幸子さんに誘われ、気楽にニューギニア行きを決めてしまった有吉佐和子。
ウィワックからオンボロセスナで1時間以上揺られ、着いた山の上の町オクサプミン。
そこから1日11時間歩いて2日かかるヨリアピに、畑中さんの家はあります。
「十一時間ですって?」
「そうよ」
「誰が歩くの?」
「あんたと私」
「それは無理よ、私はゴルフのコースだって十八ホールまわる頃は口もきけなくなるのよ」
「日本橋では白木屋と三越の間だってタクシーに乗るのよ」と変な自慢をする有吉佐和子に畑中さんが折れて、3日間の行程にしてくれますが、それにしても一日7、8時間歩く計算になります。
足の爪は剥がれ、原住民が手を引いてくれようが、おぶってくれようが、歩けなくなった有吉さんは現地の人たちに運んでもらいます。
1週間のつもりが、また同じ道を帰るかと思うと、1か月の滞在となり……
◇◇◇
東京では「礼儀正しく、義理に厚く、気の毒になるほど四方八方に気を使って、その結果くたびれて、ものを言うのも嫌だという具合になっているような人」だという畑中さんは、たくましく、狩猟民族である彼らに舐められまと、厳しい物言いをして勇ましいのです。
一方、そんな彼女に怒鳴り散らされ、見るもの聞くものにびくびくする有吉さんは、「東京で生きているころの私を知る人なら信じられないほど温和そのものになっていた」というのも興味深いです。
人は環境によって人格が変わってしまうことがあるのですね。
それでも、有吉さんの「歯を食いしばってでもやらなければならないことには頑張るけれども、どうでもいいと思うことは、まったくどうでもいいと思っている」というスタイルは揺るぎません。
有吉佐和子にとって絶対に妥協しないこととは、「小説を書くことと自分の子供に関することだけ」
それ以外のことはどうでもいいので、畑中さんに何と言われようが、軽蔑されようがやらないことはやらない。
こういうところはさすだと思いました。
◇◇◇
つまらないことでも、おもしろく書くのがプロの作家というものでしょう。
それが、おもしろいことを書いてるのだから、おもしろくないはずがありません。
有吉佐和子がニューギニアの奥地に出かけて行ったのは、1968年。
未開の地がどんどん姿を消していく時期だったのかもしれません。
畑中:私らの国、あれ、ちょっと狭すぎるな、そう思わへん?
有吉:人間が多くて、みんな殺気だってるみたいでね
有吉先生、帰りはどうしたん?
と思いながら読んでると、あっと驚く展開が。
まさに、事実は小説より奇なりです。
1985年7月に朝日文庫から発行されていたものを河出文庫で再文庫化。
挿入される宮田武彦さんのイラストはユーモラスで、情景を楽しく思い描けます。
河出書房新社
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