砂糖であろうと買い物であろうと、のぞき見趣味であろうと何かを吸引することであろうと、SNSの投稿であろうと、(中略)、私たちは皆、やらなければよかったと思う行動にふけっては後悔したりしている。

消費することこそが私たちの生きる動機のすべてとなってしまったこの世界で、衝動的に何かを過剰摂取してしまうことをどうやったらやめられるのか、その実践方法を本書で提供できればと願っている。

(まえがきより)

 

著者のアンナ・レンブケは、1967年生まれの精神科医。医学博士。

依存症医学の世界的第一人者です。

 

食べ物、ニュース、ギャンブル、買い物、ゲーム、YouTube、ツイッター……

 

ちょっとした気晴らしのつもりが、逆に心身を疲れさせるものに簡単にアクセスできる時代。

 

アンナの診察室を訪れる、依存症患者の経験は、私たちに示唆を与えてくれます。

 

「なぜここに来たのか教えてください」

 

こんな言葉で始まるアンナの診療には、さまざまな人が訪れます。

 

「パキシル」や「アデノール」といった、処方薬に依存している35歳のデビッド。

 

スタンフォード大学で優秀な成績をおさめながら、依存により、人生を台なしにしてしまったクリス。

 

親に言われて来たティーンエイジャーのデリラは、自分は大麻なしではやっていけないと思っている。

 

人が何かに依存していく過程は人それぞれで、精神的な問題がある場合も、そうでない場合もあります。

 

ふつうの人が、ちょっとしたきっかけで、「依存」にはまり込んでしまうのは、脳の「快楽」と「苦痛」をつかさどる部分に関係があるようです。

 

 

全ての快楽には犠牲がつきもの

 

快楽がなければ私たちは食べることも飲むことも生殖もしない。苦痛がなければ、傷や死から自分を守ろうともしない。(中略)しかしそれが今や問題となっている。人間は究極の探究者となり、快楽を追求し、苦痛を避けるという課題にあまりにも一生懸命になりすぎた。その結果、私たちは世界をもののない場所から凄まじくものが溢れる場所へと変えてきてしまった。

 

徹底的な正直さ

 

筆者は、徹底的に正直になることが、衝動的な過剰摂取を抑えるのに役立つだけでなく、人生をよりよく生きるための核心だといいます。

 

大きなことでも小さなことでも真実を言う、特に自分の悪癖が顕わとなり、深刻な結果を伴う時にこそ真実を言う。

 

そのメリットとして

①徹底的な正直さは自分の行為についての自覚を促す。

②親密な人間関係を育む。

③正直な自分の物語ができるので、今現在の自分にだけではなく、未来の自分にも説明責任が果たせるようになる。

④真実を語ることは伝染するため、将来の自分や別の誰かが依存症を発症するのを防ぐことにもなり得る。

 

欠点があるにもかかわらず受け入れられた時、他人と深くつながっているという感覚から温かい感情が迸り出るものである。私たちが切望する親密さを作り出すのは、私たちの完璧さではなく、間違いを一緒に直していこうとする意志なのだ。

 

正直さという点で、アンナは自分の嗜好も容赦なくさらします。

 

訳者の恩蔵さんは、『脳科学者の母が、認知症になる』などの著書がある、1979年生まれの脳科学者です。

 

訳者あとがきで、「この本を訳してレンブケという精神的支柱に頼って、自分の内面に深く降りていく体験をした」と書かれていますが、私も同じように感じました。

 

    

どうかあなたに与えられた人生に、どっぷり浸かる方法を見つけてほしい。逃げようとしていることが何であれ、そこから逃げるのをやめ、むしろ立ち止まり、方向を変えて直視してみてほしい。

 

そして、そこに向かって歩いていってほしい。そうすることで、世界はあなたにとって逃げる必要のない、不思議で畏敬の念を抱かせるものとして姿を現すかもしれない。逃げるどころか、世界は注意を向けるに値する存在になるかもしれない。

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございます。