2020年4月
新型感染症の世界的流行により、人の流れがとまりました。
とりわけ航空会社にとっては大変な状況だったと想像します。
ANAホールディングス。
全日本空輸(ANA)の持ち株会社です。
ANAHDは2020年東京オリ・パラの開催を前に、インバウンド需要の高まりと歩みを合わせ、拡大路線を走っていました。
2020年3月までの8年間で、従業員は4割増え、機材数も3割強増やしていました。
競合JALを上回るペースで売上げも伸ばし、「国内最大の航空会社」へと成長していたのです。
21年3月期の業績は、売上高が63%減
営業損益は4647億円のマイナス(前期は608億円の黒字)
結果として、歴史的な復活劇を演じたANAHDはこの難局をどう乗り切ったのか。
日経ビジネスの記者である筆者が、コロナ禍の苦境にあえぐANAHDを長期的に取材し、復活に至るまでの1000日を記録します。
2章 奔走
2020年4月末、ゴールデンウイーク中の国内線運航便数をコロナ前の15%の水準に減便。
さらに使用する飛行機を小型化。
ボーイング「777」を「787」を置き換えると、運行コストは約2割下がるそうです。
グループ会社、ANAウイングスが持つ、ボーイング「737」やプロペラ機「DHC8-Q400」といった小型機を活用。
羽田という巨大空港に降り立つのは、Q400のパイロットたちの夢でもあったそうです。
コロナ禍という非常事態ならでは、かなった夢でした。
3章 覚悟
海外ではドイツ政府がルフトハンザに資本注入するなど、政府が経営に関与し始めるケースが増えていました。
危機に再編はつきものです。
なんとしてもJALに「のみ込まれる」ことだけは避けなければならない。
経営陣の覚悟でした。
4章 挑戦
「雇用は守る」との社長の言葉はありましたが、人件費の削減は避けられません。
ボーナスカット、減給、一時帰休、理由を問わない2年間の無給休暇など、さまざまな方策を展開します。
去っていった社員もいましたが、この機会に家族とともに時間を過ごす時間を増やしたり、副業を始めたり、「新しい働き方」にシフトした人もいたようです。
…… …… ……
2022年、3年ぶりに移動制限のない中で迎えたゴールデンウイークには、国内線の乗客数はコロナ前の65%まで回復するなど、ようやく明るい光が見えてきたといいます。
ANAHDが世界的なパンデミックに際してさまざまな手を打てたのは、経営陣が常々、リーマンショック級の危機が起きたときのシミュレーションをしていたことも大きかったと思います。
「現在窮乏、将来有望」
これは、ANAHDの前身である日本ヘリコプター輸送(日ペリ)を創業した美土路昌一氏が残した言葉です。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって国内の民間航空機の運航が停止された日本。美土路氏は職にあぶれた民間航空関係者の救済を目的とした「興民社」を立ち上げ、これが1952年の日ペリ創立につながっていきます。
「国主導で設立され、半官半民の形で事業を拡大していった日本航空(JAL)に対し、純民間で後ろ盾もない日ペリ。」
資金力に乏しく、ヘリコプター2機で事業を始めたといいます。
そんなANAスピリットが感じられる、さわやかな読後感でした。
2022年9月26日
日経BP
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