第二次世界大戦前後、中立国スウェーデンに駐在した小野寺信武官の妻、小野寺百合子さんによる回想録です。

 

 

そもそも武官って何?

 

 

駐在武官のことを指しているらしく、ウィキペディアによれば、「在外公館に駐在して軍事に関する情報交換や情報収集を担当する武官」のことで、有名な武官としては『置かれた場所で咲きなさい』の著者渡辺和子さんの父、渡辺丈太郎さんなんかもそうだったみたいです。

 

 

小野寺武官は、1935年(昭和10年)に駐ラトビヤ国帝国公使館付武官として2年間勤め、1940年(昭和15年)には、駐スウェーデン公使館付武官に任命されました。

 

 

妻の百合子さんは上3人の子どもを妹に託し、5歳の末っ子を連れて夫のあとに従います。

 

 

私は子供たち三人に、「この非常時に軍人の家族として、父親だけでなく母親までもご奉公に出さなければならなくなったのだから、留守を頼むよ」と、言い聞かせて私の仕度にとりかかった。

 

 

 

武官の妻はなかなか大変で、パーティーを催したり、客人を迎えたりのほかに、情報を暗号化して、本国に送る仕事まで担います。

 

 

夫の信さんは、誠実な人柄で協力者を増やし、正確な戦況を日本に送っていました。

 

 

ところが、ドイツ側の都合のいい情報に踊らされた日本は、小野寺武官からの電信に重きを置かず、開戦への流れは変わることはありませんでした。

 

 

その後も、戦争終結に心血を注ぐ小野寺武官ですが、なかなか日本政府、軍部には理解されません。

 

 

結局、人って自分の信じたいことしか信じないんですね。

 

 

中立国スウェーデンでは、東京からの電報を待つまでもなく、日本の追い詰められていく戦況が、いやでも承知させられたといいます。

 

 

終戦の翌年、1946年(昭和21年)1月、マッカーサーからヨーロッパ中の日本人全部に引き揚げ命令が出て、待ちに待った帰国がかないます。

 

 

この引き揚げの様子がまたすごい。

 

 
 

筆者の小野寺百合子さんは1906年、東京生まれ。

文庫版は1992年に出版されていますから、あとがきは86歳のときに書かれたものでしょうか。

 

 

わかりやすく読みやすい文章です。

 

文学的素養もおありなんだなと思ったら、トーベ・ヤンソンの『ムーミンパパ海へ行く』、エルサ・ベスコフの『ペレのあたらしいふく』などの翻訳者でした。

 

 

情報活動に最も重要な要素の一つは、誠実な人間関係に結ばれた仲間と協力者を得ることである。この点、夫はストックホルムばかりでなく、バルト諸国でも上海でも、内外人ともまたとない幸運に恵まれた。年齢を越え、国境を越え、人種を越えて、それぞれが祖国のためという固い信念の上に、さらに厚い友情に結ばれた人間関係はこの上ない尊いものである。大方はもうこの世にいないその人たちとの協力の記録としても是非残しておかなければならないとも思ったのである。(あとがきより)

 

 

 

本書は、日経新聞で都倉俊一さんがお勧めの本として挙げていました。

都倉さんは「広い視野、冷静な判断、人脈の大切さを痛感できます」と紹介されています。

 

 

お読みいただきありがとうございます。

 

 

1992年8月15日 第1冊印刷

朝日文庫