「感染対策が失敗したから船内で感染が広がったというより、検疫が始まる前に感染した人の検査が進んで、陽性が判明していく過程を、私たち国民は見ていたんですよ」

 

岩手医科大学教授だった櫻井滋医師に聞いたこの言葉が、高梨さんが、ダイヤモンド・プリンセスの集団感染について、もっと取材を進めてみようと思ったきっかけだったそうです。

 

読売新聞編集員の高梨さんは、それまで取材に直接かかわってはいませんでした。

 

報道に触れるなかで、乗客乗員が船内に閉じ込められているうちに、感染がどんどん広がっているのかとばかり思っていたそうです。

 

 

「10人陽性確認」の第一報を受けて、支援を要請されたのはDMAT(災害医療派遣チーム)でした。

 

DMATは大規模な災害や事故の際、負傷者の緊急治療などを行う医療チームです。

 

感染症の現場は想定しておらず、教育も訓練もされていませんでした。

感染症の現場にDMATを出動させる法的根拠もない中、「まるで災害のようだ」という判断で、派遣されることになります。

 

DMATの隊員たちは、地元に戻ればすぐに医療現場で働かなくてはならない医師や看護師、薬剤師たちで、そのため、感染症の現場に行くことで肩身の狭い思いもされていたといいます。

 

感染症対策が十分でないなどの非難も連日のようにマスコミで流され、家族が汚染されているかのような扱いも受けたこともあったようです。

 

本書では、関係者への丹念な取材によって、船の中で実際に起きていたことを明らかにしていきます。

 

また、DMATの小早川義貴さんと乗客の石原美佐子(仮名)さんのエピソードを中心に据えることにより、問題のただなかにいたのは人格を持つ個人だったということを思いこさせてくれます。

 

小早川医師も、石原さんもコロナに感染しました。

 

石原さんは、治癒後、職場の人に船に乗っていたことを理由に自主的に退職するよう勧められます。

 

その石原さんも、また、コロナに感染した人を避ける自分に気づきます。

 

恐怖心が人を分断していきます。

 

 

どうしてこんなに危険で重要な国家的ミッションの根幹を、ボランティアのような一般人が担っているのだろうか―。

 

筆者の疑問に「ほかに選択肢がないからですよ」と、DMATの阿南英明医師は答えます。

「ボランティアを基本とする日本のDMATのやり方は、海外ではクレイジーだと言われます」とも。

 

筆者は、阪神・淡路大震災がDMAT創設につながったように、今回の教訓が何らかの形で次への糧になることを願うといいます。

 

 

乗客も乗員も、マスコミも私たちも、船の中で何が起きているかよくわかっていなかった。

 

よくわからないというのは恐怖です。

恐怖心は人にとって強い感情です。

容易に伝播します。

だからこそ、私は、恐怖心から何かを発信してしまうことはとても危険なことだと感じました。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

2022年3月31日

講談社