きょうの日経朝刊には詩人で劇作家の平田俊子さんの文章が載せられています。

 

歌人の川野里子さん、東直子さん、俳人の神野紗季さんたちと月に一度交互に開いていた歌会と句会が、コロナ禍でできなくなったことが書かれています。

 

ズームでやりましょうということになり、自宅の背景まで映り込むことを恐れた平田さんは、コロナで低価格となったホテルをパソコン片手に泊り歩くようになります。

 

ネットでおまかせプランを予約すると、思いのほか豪華な部屋に当たったり、そうでもなかったり、バリアフリーの部屋を充てられたこともあったようです。

 

去年の暮れからは、また実際に集まるようになりますが、ずっと会を開いていた神楽坂の「もー吉」がコロナのため閉店してしまったことが何よりも寂しいと書かれています。

 

おまかせの料理は外れたことは一度もなかったそうです。

 


 

 

今月の『私の履歴書』は漫画家の里中満智子さんです。

 

1964年高校1年生でデビューした里中さんは「こんなに早くプロになってしまって、早晩、漫画のネタが尽きる」と焦ったと書かれています。

 

片っ端から本を読み、ドラマ作りで大事なのは、作家独自の考え方をドラマにのせて表現することだと気づきます。

 

そこで、毎朝、新聞を適当に開き、目をつぶって指先に触れたところの記事の中の人物になりきって、「この後どうすればこの問題が解決するか?どう振る舞うのがベストなのか?」を、毎日、真剣に想像するという修業をしたそうです。

 

担当編集者には理屈っぽいと言われ続けているといいますが、先生の作品を生み出す現場がのぞけそうで楽しみです。

 


 

 

先週の日曜版では作家の宮尾登美子さんが特集されていました。

 

多額の借金を抱え、再婚した夫とともに高知から東京に逃げた39歳の宮尾さんは、作家を目指します。

 

46歳のとき、窮乏生活の中で、花街育ちの過去をさらけ出した自伝的小説『櫂』を自費出版。500部刷り、出版社に送ると、これが筑摩書房の目にとまり、作家デビューを果たします。『櫂』は若尾文子主演でテレビドラマ化され、その後も『一弦の琴』で直木賞、『鬼龍院花子の生涯』『序の舞』『天璋院篤姫』などの話題作を次々と発表します。

 

記事では、元筑摩書房の編集者・高橋忠行さんにも取材し、宮尾さんが成功した秘訣として、「長年の文章修行」を紹介しています。宮尾さんは、「暇さえあれば、広辞苑から言葉を拾い語彙ノートに書き込んだり、内外の小説を読んでは吸収したことを『讀書録』に写したりする努力を重ね、これに人生体験が加わり非凡な力を蓄えていた」と明かしています。

 

多額の借金がありながら自費出版をした背景には圧倒的な努力がありました。

 

 

お読みいただきありがとうございました。