『梁塵秘抄』は、11世紀から12世紀にかけて、京を中心に流行した「今様(いまよう)」という歌謡の歌詞を集めたものです。

 

編纂者は77代天皇の後白河法皇。

1155年即位し、1158年譲位、その後は5代34年にわたり院政を行い、それは平氏政権から鎌倉幕府の成立にいたる変動期に当たります。

 

「今様」とは「今はやり」ということ。

 

当時のはやり歌を法皇がまとめたものとして、日本の文学史上、異色の古典作品といわれています。

 

 

【原歌235】

われらはなにして老いぬらん

思えばいとこそあわれなれ

今は西方極楽の

弥陀の誓いを念ずべし

 

【訳者超訳】

としとるなんて いやなこと

おもえば おもうほど いやんなる

天国なんて はるかに遠い

ナンマイダブツ アーメン アーメン

 

『梁塵秘抄』には若さを誇るような歌は少なく、年寄りの繰り言みたいな歌が多いそうです。

高齢化社会の今にぴったりです。

 

 

【原歌342】

美女打ち見れば 一本葛へも成りなばやとぞ思う

本より末まで 縒らればや 

切るとも刻むとも 離れ難きはわが宿世

 

【訳者超訳】

美女を見るたび 一本の 蔓草にでもなりたいな

根本から枝の末までも からみつきたい すがりたい

切られようとも 刻まれようとも

離れはしない わが運命

 

美人を見ると、葛になって絡みつきたいだと!

執着がすごい。

ストーカーの世界です。

 

 

【原歌359】

遊びをせんやと生まれけん 戯れせんやと生まれけん

遊ぶ子どもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ

 

 

梁塵秘抄の中でも有名な歌です。

解釈もさまざまで、代表的なものは、この歌の主人公を遊女と見て、「遊ぶ」ことに罪業感を抱き、自分の罪深さに身が揺らぐような思いがするというもの。仏教思想的な解釈だといいます。

 

訳者の川村さんは、「遊ぶ」も「戯れる」も文字どおりの意味で、子どもが遊んでいるのを見ると、自分も遊びたくなるという気持ちを素直に歌ったものだと解説しています。

 

私が読んだ光文社のものはかなり意欲的な超訳で、解説も楽しめました。

ほかにもいろいろ出ています。

 

 

 

 

 

 

 

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