東日本大震災の津波で、福島県太平洋沿岸部がどこまで浸水したかを示す地図。
よく見ると、そのラインぎりぎりのところにたくさんの点が散らばっています。
神社です。
津波の押し寄せた跡を歩いてたどるとなぜか神社があらわれます。
その現象に興味を持った著者の1人、熊谷さんが現地で調査した神社は84社。
多くの神社は、高すぎもせず、津波に吞みこまれることもない、ぎりぎりの高さの土地に建っていました。
84か所の神社のうち津波がすぐそこまで押し寄せながら被害を受けなかったものが67か所。流されてしまった17か所に共通するのは、近年建てられたものだったということです。
残ったうちの鼻節神社には1000年以上前の津波伝説が残されていました。
神社は、そのときの教訓を語るため建立されたのかもしれません。
あるいは、いざというときに避難できる場所として建てられたのかもしれない。
はっきりしたことはわかりませんが、先人たちが子孫を守るため後世に伝えようとした伝承に耳を傾けることは、今の私たちの命と暮らしを守るものになるでしょう。
災害地名
「津」「谷」「蛇」などがつく地名は水害が起こりやすい場所として知られていますが、「栗」はクレル(えぐれる)、梅は「埋まる」、竹は「崖」などをあらわすことがあるそうです。
梅や竹といった言葉に置き換えられたのは、奈良時代に発せられた法令で、漢字を当てる際にはできるだけ印象のよい文字を用るように命じられたことが関係しているようです。
現在の○○が丘、○○台などを思わせる法令は、もともとあった警告の意味を薄れさせています。
東日本大震災のあとで、神社が存在する意味を考えていくと、゛日本国″という政治・経済的枠組みよりも、私たちが置かれた、地質を含む大きな自然環境としての゛日本列島″を強く意識せざるを得ない。
調べを進めるなかで感銘を受けたことは、日本列島の自然とそこに暮らしてきた私たちの先人のすばらしさだった。
津波を防ぐ防波堤のようなものを建設する技術を持たなかった時代、私たちの先祖は自然を制するのではなく、災害をやりすごすという知恵があったようです。
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