なんとも妙な話です。
筆者はジャーナリストでもフリーライターでもありません。
自分が巻き込まれたハイジャック事件の犯人に会いに行くというのです。
1980年代、商社に入社した筆者は初の海外出張でインドに行きます。
インドから日本へ帰国する飛行機の中で事件は起こりました。
1982年6月30日のことです。
前日、駐在員宅でビールやウイスキーを大量に飲んだ筆者は、離陸したのも気づかず、すっかり寝入ってしまっていたそうです。
「ダイナマイトなんだって」
トイレに立った際に声をかけた男の子が小声で言いました。
機内の後方にいる男が、ダイナマイトらしいものを首から下げ、手にも1本持っているのだと、客室乗務員からも説明されます。
男性はスリランカ生まれの33歳。
イタリアにいる妻と息子との面会と30万ドルを要求していました。
飛行機はバンコク国際空港に着陸。
イタリアにいる妻アンナと息子が呼び出され、飛行機に乗り込み、犯人は要求した身代金を受け取ります。
乗客は全員無事に解放されました。
その後、犯人はスリランカに帰国。
スリランカでは、犠牲者を一人も出さず、妻子を取り返した勇敢な男として、英雄扱いされるのです(なんか変だぞ)
当時、ハイジャック犯を取り締まる法律がなかったスリランカで豪遊し、故郷へ凱旋する途中、急ごしらえでつくられた法律を過去にさかのぼる形で適用して逮捕されます。(これもすごい)
結局、刑務所に入ることになるのですが、刑期は5年、89年に釈放されました。
その辺の経緯やスリランカの歴史なんかも筆者が詳しく調べていて興味深いのですが、とりあえず、犯人のセパラに会いに、スリランカに行くことになります。
2016年12月再会したセパラは、ハイジャックしてまで取り戻そうとした妻とは離婚し、再婚して2人の子どもがいました。
筆者を温かく出迎え、当時のことは覚えていないと言いながら、何度か会ううちに記憶を呼び起こしていきます。
本は長く続いたスリランカの内戦にも触れていて、それも考えると、早く平和な世の中が訪れてほしいと願わずにはいられません。
いあわせた人でなければ書けないようなハイジャックの場面。
脚色なく淡々と書かれた文章ですが、はらはらしながら読みました。
お読みいただきありがとうございました。