東京・山谷、横浜・寿町をしのぐ日本最大のドヤ街(簡易宿泊街)として高度成長期時代の日本を下支えした大阪・釜ヶ崎(あいりん地区)。
ほかのドヤ街と同様、長引く不況と高齢化により「福祉の街」へと変容しています。
住民の4割超が生活保護受給者。
メダデ教会は、その釜ヶ崎にほど近い場所にあります。
メダデは、旧約聖書にただ一度出てくる人物で、指導者でもないのに預言をしているとして、ねたんだ仲間に訴えられます。ヘブライ語の意味は「愛があふれる」(民数記11章)
牧師の西田さんはこの人物に自分を重ねました。
西田好子
1950年、大阪・十三生まれ。
小学校の教師となり、同僚と結婚しますが、義父母らとの同居生活に不満を募らせ離婚。
講師として働き、2人の男児を育てます。
子どもを預けた保育園でキリスト教に出会いました。
50歳で神学校に編入し、息子と同じ教室で学びます。
牧師になったものの、協調性がなく、言動が派手だという西田さんは周りとなかなかうまくいきませんでした。
「社会にバカにされて相手にされへん気持、私には手に取るようにわかるねん。だから私が、地べたに寝そべってるおっちゃんらを、立たせてやるんや」
西田さんは、大阪・西成に教会を構え、釜ヶ崎を歩き回り野宿者にかたっぱしから声をかけます。
信者は複雑な過去を持つ人ばかり。
アオカン(野宿)経験者、脳梗塞、認知症、統合失調、アルコール依存症、酒、たばこ、女、ギャンブル・・・
あるとき、公園で開かれた公開集会で説教する西田さんに、ヤジを飛ばす男がいました。
ヒデキ(46歳)です。
ヒデキは19歳のときから20年シンナー漬けで、服役は19回以上、精神科の閉鎖病棟に入っても好転しませんでした。
「俺、塀の外に連続三か月以上、おったことがないんですわ」
「俺、もう塀の中に戻りたくないんや」というヒデキに、再起への意思を見た西田さんは、教会に迎え入れます。
メダデ教会では、信者がともに生活し、互いの面倒を見ます。
ヒデキも酒が抜ければ陽気な男で、みんなと打ちとけていきましたが、更生するのは簡単ではありません。
酒におぼれ、酔って暴言を吐き、みんなに迷惑をかけるヒデキに、信者たちもうんざりしはじめます。
「あんたら、飢えている人と愛を分かち合えよ!友のない人と、隣人になれよ!もっと、愛をばらまくんや」
ヒデキのほかにも大変な人はいて、というか、大変な人ばかりで、うまくいくときもそうでないときもあります。この本が書かれた当時、メダデ教会の信者は20名。
この本は読売新聞の連載をまとめたもので、お読みになった方もいるかもしれません。
記事になったことで注目され、教会に来る人もいるようです。
記者がまだ西田さんと出会って間もないころ、こう言われたといいます。
「ここのおっちゃんらには、学歴も、安定した仕事もない。身寄りもおらん。金もない。若さも消えた。心のどっかで、世間は私らのことを下に見とる。あんたらみたいに、ええ道歩んだ人間に、私らのことが理解できるんですか?」
そう言われた筆者もまた、7年前、アルコール依存症の父親を亡くしていました。
「息子から軽蔑の目で睨まれた気分はどうだっただろう」と父親の気持ちを考えるようになります。
筆者は西田牧師を「喜怒哀楽が激しく、意見はいつも極端で、人の都合なんかお構いなし」だと評します。
それでも、何よりその説教に惹かれたといいます。
身一つで聴衆の前に立ち、口から吐き出す言葉だけで、心をたきつけるそれは、まるで音楽のようだと。
音楽に夢中になったように、西田牧師の説教を録音して、繰り返し聞いたのだそうです。
筆者は「ええ道、歩んだ人に私らのことが理解できるんですか?」という問いかけに、今ならこう答えるといいます。
「あなたたちのことは、完全には理解できないかもしれません。でも、想像することはできます。」
私には愛がなかった。今も十分にあるとは思わない。でも、「愛あふれる教会」に通い、この本を書きながら、愛について必死に考えた。これを読んだ人もそうであればいい。
2020年11月30日初版第一刷発行
筑摩書房
定価(本体1400円+税)
お読みいただきありがとうございました。