萩原朔太郎と室生犀星が、互いについて書いた文章をまとめたものです。
萩原朔太郎 1886年群馬県生まれ。
室生犀星 1889年石川県生まれ。
室生の詩をすっかり気に入った朔太郎が、実際に会ったときの印象を書いたものが、まず率直です。
犀星の詩のイメージから、勝手に「貴族的な風貌と、青白い魚のような皮膚」を思い描いていたという朔太郎は、実際に会った犀星を「妙に肩を怒らせた眼のこわい男」。
さらには「容貌ばかりでなく、全体の態度や、言葉づかいや、言行からして、何となく田舎新聞の記者とかゴロツキ書生」と続けます。
しかし、親しむうちに、「彼の容貌や、そのユニックな人柄や態度が、奇体に芸術的な美しさを以て見られてきた」と。
室生君!
君との友情を考える時、僕は暗然たる涙を感ずる。だがそれは感傷でなく、もっと深い意味のものが、そこから湧いてくるように思われる。いかにしても、僕にはその意味が語りつくせない。だが、力の及ぶだけ貧しい、表現をつくしてみよう。
一緒に温泉に行ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、おかしくもあり胸が塞がれるような二人の詩人の激しい友情。
何でも言える気心知れた仲だからこそ、本当に言いたい放題。
朔太郎は1942年に亡くなります。
朔太郎没後、犀星が書いた詩です。
供物
はらがへる
死んだきみのはらがへる。
いくら供えても
一向供物はへらない。
酒をぶつかけても
きみはおこらない。
けふも僕の腹はへる。
だが、きみのはらはへらない。
(『四季』1942年9月萩原朔太郎追悼号)
巻末には萩原葉子さんと室生朝子さんの対談「わたしの朔太郎 わたしの犀星」。
これも感慨深いです。
