戦地では下の兵隊から先に死ぬ。
語り手の半田さんは太平洋戦争末期の昭和19年、21歳で日本帝国陸軍に入営しました。
全国の船舶工兵同期1200人の中で生き残った数少ない二等兵ということで、上司から「千二百分の一」と呼ばれたそうです。
山口県の柳井に配属されると、「この兵科は秘密兵科じゃ」という。
「これは新しくできる秘密兵器を扱う部隊じゃ」と言われて、何かと思えば人間魚雷だったといいます。
「その新兵器をいま研究しとるから、それに志願する者は手を挙げ!」と言われて、志願したのは半田さんほか4人しかいませんでした。
あとの160人は硫黄島へ行って全員玉砕。
新兵器はなかなかできず、フィリピンに行くことになりました。
途中のパシー海峡で米軍の魚雷攻撃を受けて、3500人の同乗兵が次々と命を落とす中、甲板から落ちてきた板につかまって漂流。3日目の夜に駆逐艦に偶然発見され、救助されます。
船が沈むぞというとき、思い出したのはおじいさんから聞かされていた言葉でした。
「自分の家は海の神様の本家だから、絶対に、海での事故はない。一族には海で死んだ人が居らん」こういうことを小学生のころからしょっちゅう言われていて、その考えが頭の中のどこかにあったと言います。
駆逐艦から別の船に移り、近くの島に向かう途中で、またしても魚雷に沈められ、このときも救助されます。
その後はルソン島の浜辺に下船しますが、それ以降も奇跡の連続で命をつなぎます。
食料の補給はなく、しかたなく現地で調達するわけです。
あるとき、調達に行くはずだった上等兵の具合が悪くなり、半田さんが代わりに行くことになりました。
戻ってくると、半田さんがいた場所はアメリカの落下傘爆弾にやられていて、残った人は全滅でした。
具合が悪かった上等兵も無事ではありませんでした。
交代してなければ、わしが死んで、あの人は生きとった。人の運はわからんですよ。
半田さんは1922(大正11)年に生まれ、2014(平成26)年に92歳で亡くなりました。
本書は2006年から2013年まで、80歳を過ぎた半田さんから、飛び飛びに聴き取った記録をまとめたものです。
戦後、半田さんは1年半の収容所生活を経て、日本に帰還します。
帰国後も、トカラ諸島で開拓農家組合の先頭に立ってサトウキビ栽培に精を出し、村会議員としても活躍したそうです。
白人に全然頭が上がらなかった時代に、日本は我慢しきれずにあの戦をしたんじゃ、と、わたしは神戸に居ったから、そういう状況を知っとる。(中略)
最初は連戦連勝で日本が勝ったわけでしょうが、それを知って他の黄色人種がビックリした。白人の属国だったのが、「白人、何を恐れることがあるか!」て、独立運動を起こすようになったのは、日本の戦のお蔭ですよ。
イギリスは世界の陸の三分の一以上の土地を持っとったんじゃから、オーストラリアから、インドから、持っとったから、あれからすると、日本の戦は聖戦じゃ、ち。
平和な時代に生まれて育ち、歴史もろくに勉強していない私には、戦争を「聖戦」と呼ぶのには抵抗があります。
しかし、実際に現地にいた半田さんの言葉には重みがあります。
戦争にはいろいろな側面があるのでしょう。
また、いろいろな現実があったのでしょう。
そして、人の命の不思議さも思わずにはいられません。
運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど
そういうことって確かにあると
この本を読んで、そう思いました。
2021年2月28日発行
弦書房
定価1800円+税