3歳で母親に棄てられ、戦争に行った父は戦後もしばらく帰ってこなかった。

愛に飢えた少年は、進学で東京に出てモデルになる。

菅原文太である。

 

銀幕デビューは56年、東宝映画『哀愁の街に霧が降る』

学生中川という端役であったが、出演のきっかけについては諸説あり、定かではないという。

 

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元女優で、元松田優作の妻の松田美智子さんが書かれた『菅原文太伝』です。

松田さんならではの人脈で多くの関係者に話を聞き、菅原文太に迫ります。

聞けば聞くほど、人によって証言が違う。

なにしろ菅原文太自身が、言うことがまちまちです。

 

例えば、父親について、あるときはサハリンで死んだと言ったり、脳溢血で亡くなったと言ったり……

本当はずっと後になって、肺炎で亡くなったのですが。

 

映画『仁義なき戦い』についても、関係者はみんな自分が持ってきた企画だ、みたいなことを言うんですね。

当たった映画は自分の手柄にしたい、本当にそうだと思いこんじゃう人間のおもしろさを感じます。

 

そして、一面を見て人を判断することの怖さも。

 

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菅原文太が、詩や俳句、短歌などを集めて編纂した作品集があるそうです。

タイトルは『女といっしょにモスクワへ行きたい』

ロケで行った宇多野病院で知り合った、筋ジストロフィーと闘う子どもたちの作品をまとめたものです。

 

「宇多野の子供たちを初めて知ったとき、俺は本当に情けなくなった。健康な肉体を授かったという幸運だけで、50年近く酒を飲みダラダラと生きてきた自分の脳天が衝撃で打ちつけられた」(週刊女性85年8月13日号)

 

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「弾ぁ、まだ残っとる」

 

晩年、今の若者の生きづらさをおもいやり、応援の言葉をおくったそうです。

 

「今の若い連中も大変だと思うよ。生まれた時から、親や社会がレールを敷いちゃってな、そのレールから少しでもハズれようもんなら、すぐに落伍者の烙印を押されてしまう」

 

「だからそんな連中に言いたいんだよ。負けてもいいぞって。でな、さらに大事なことは心の中で、こう自分に言い聞かせることなんだ。『弾ぁ、まだ残っとる』。〈中略〉負けたからといって卑屈になることもなければ、気力を手放すこともないんだよ」(週刊プレイボーイ14年12月22日号)

 

 

日本の100歳以上人口は8万6510人、昨年より6000人増えたとの報道もありました。

50歳の人なら、あと一生分あるかもしれない。

 

山守さん、弾はまだ残っとるがよう・・・・・

 

 

2021年6月25日

新潮社

定価1700円(税別)