谷川俊太郎さんは1931年生まれ、第二次世界大戦後詩を作るようになりました。

申庚林さんは1935年、日本統治時代の朝鮮・忠清北道(現、忠州市)に生まれ、朝鮮戦争の後、詩を作るようになりました。

 

日韓2人の詩人の対詩集です。

 

〈対詩〉とは

何人かが順番に詩を作って回していく〈連詩〉に対して、二人だけで作っていくもの。

 

新聞から目を逸らしてテレビの音を消して

庭のカエデの若葉を見ています

人の手が触れることの出来ないものを畏れることと

人の手が触れたものを恐れること

畏怖を忘れるとき恐怖が生まれる

 

人の手の及ばざるもの いよよ増え

人の手の及ぶもの いよよ恐ろし

世に与え得る何ものもなく

ただずっと突っ立っている

ヤマナラシの老木が こんな日は妙に哀しい

 

 

星の名を知らずにいたい

花の名を覚えたくない

無名も有名も同じ生きもの

名付けられる前の世界の混沌で

神はまどろんでいればいい

 

僕とすれ違った人々の

名前を僕は知らない

みな星になって胸に刺さっているだけ

名を忘れて ようやく美しくなった

その訳を知ったところで何になろう

 

 

24の対詩とそれぞれの詩が5つずつ

 

東京と韓国・バジュで行われた対談とエッセイ。

短い文章など。

 

詩作と2人の詩人にまつわるいろいろ。

戦争とか3・11とか。

 

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谷川俊太郎:ほん

ほんはほんとうは

しろいかみのままでいたかった

もっとほんとうのことをいうと

みどりのはのしげるきのままでいたかった

 

だがもうほんにされてしまったのだから

むかしのことはわすれようとおもって

ほんはじぶんをよんでみた

「ほんとうはしろいかみのままでいたかった」

とくろいかつじでかいてある

 

わるくないとほんはおもった

ぼくのきもちをみんながよんでくれる

ほんはほんでいることが

ほんのすこしうれしくなった

 

葦:申庚林

いつからか葦は内側で

静かに泣いていた

そんなある夜のことだったろう 葦は

自分の全身が揺れていることを知った

 

風でも月の光でもないもの

葦は自分を揺らしているものが自らの忍び泣きであることに

少しも気づいていなかった

 

生きるとは内側でこうして

静かに泣くことだとは

知らなかった

 

〈対談より〉

オレ、どんどん詩がうまくなってると思ってるんだけど、若い時からずっといい詩書いてると思ってますけど(笑、歓声と拍手)。―谷川俊太郎

 

 

2015年3月25日発行

クオン

定価:1500円+税