富山市内で飲み屋を営む貧しい家庭に生まれた高野さん。

楽器など触ったこともなく音楽が苦手な高野さんに中学の音楽の先生が演奏会のチケットをくれた。

 

市内の公会堂でバッハの「バイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いた高野さんは通奏低音とメロディーの美しさに雷に打たれたようになった。

 

翌日から図書館に通い、視聴覚室でレコードを片っ端から聴き、東京の大学に進学後もバッハを研究。

東西ドイツが統一された1990年にはドイツに渡り、バッハが音楽監督を務めた聖トーマス教会に滞在し、以後もお金を貯めると渡航を繰り返す。

 

が、音符の読めない音楽評論家とあざけられ、34歳で「バッハは趣味に」と見切りをつけ、就職するも、心身に不調をきたしてしまう。

 

高野さんを救ったのもまたバッハだった。

 

今、高野さんはバッハ資料財団に職を得て、大好きなバッハでお金をもらって暮らしている。

 

好きなことをして生活できるのは幸せなことだ。