1960年代の半ば、吉行和子は寺山修司から「民藝やめたら?」と言われた。
「やめません」。
そのとき迷いなく言った吉行に対し、寺山は「じゃあ、演技派って言われる女優にはならないでね」と言ったという。
その後、唐十郎の「少女仮面」の台本を読み、この世界に入ろうと思った吉行は、民藝をやめることになる。
宇野重吉に辞意を伝えると、宇野は認めてくれたものの、「オレだって自分の好きな芝居だけやって、全国を回りたいよ」と。
後年、自分の命が長くないと知った宇野は、小さな一座で全国を回ったのだそうだ。
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