仙台市の東北大学雨宮キャンパス跡地に半伽思惟像が立っている。
通称「粟野観音」
粟野健次郎は同地に校舎があった旧制第二高等学校の英語教授。
1932年の退官時、肖像画を作りたいという教え子らの申し出を固辞し、「観音像」でも建立したらどうだと提案したという。
粟野は1864年、現在の岩手県一関市で一関藩の藩士の家に生まれた。幼い頃から優秀だったが、家が貧しく大学には進まず、16歳で上京し、東京じゅうの図書館に通い詰め、古今東西の書籍を原語で片っ端から読破したという。
22歳で難関の文検に合格、第一高等中学校の英語教員になる。
教え子に夏目漱石や若槻礼次郎、本多光太郎らがいた。
授業で使う英語のテキストは19世紀英国の歴史家トーマス・カーライルの「衣装哲学」やマシュー・アーノルドの論文。英国から来た英語講師も教えを請うほどだった。
語学はドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語、ロシア語、ペルシャ語、中国語ができた。あらゆる本を読むので医学、数学、物理も詳しい。
精神分析学について知りたいと聞けば、即座に当時は専門家以外ほとんど知らなかった、フロイト、アドラー、ユングを挙げたという。
広い知識から繰り出される言葉は辛辣で、釈迦は生まれた途端に「天上天下唯我独尊」などとぬかす傲慢不遜な男、キリストは人心を惑わす危険思想家、ガンジーは「プロパガンジー」と一刀両断。
粟野は著作を残すことは恥を残すこととして、自著を残さなかった。伊藤氏は東北大に残る蔵書や自筆の手紙の提供を受けて調べ、伝記『観音になった男』を出版したそうだ。
雨宮キャンパスの移転で存続が危ぶまれた「粟野観音」も、移転が検討されているという。
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