〈見えない〉ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること(福岡伸一)
人が得る情報の8割から9割は視覚に由来すると言われています。小皿に醤油を差すにも、文字盤の数字を確認するにも、まっすぐ道を歩くにも、流れる雲の動きを追うにも、私たちは目を使っています。
しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思い込んでしまいます。私たちの多くは、目に頼るあまり、「世界の別の顔」を見逃しています。(まえがきより)
著者の伊藤さんは、生物学から美術の世界に転向した方です。
視覚という感覚を取り除いたら、世界はどんなふうに見えるのか、視覚障害者との対話、ワークショップから気づいたことが書かれています。
本書はヨシタケシンスケさんの絵本「みえるとか みえないとか」のベースにもなっています。
「大岡山は山なんですね」
コンビニに荷物を出しに行ったのに、レジ前のバームクーヘンを買ってしまったというようなことはないでしょうか。
日々、目に見える情報にさらされている私たちは、パソコンで仕事をしようと思ったのに、ショッピングサイトを見ていたなんていうこともよくあることです。
見えない人の情報はまったく違います。
コンビニへは必要な物を買いに行くし、ほかのものは目に入りません。
大岡山は少し坂だなと思っても、山だという感覚はないでしょう。
見えない人は、「山」という地名と自分の足に感じる傾斜で、ここが山だと認識するようです。
見える人は富士山を平面でとらえますが、見えない人は円すいを思い浮かべるそうです。
どちらがより実態に近いでしょうか。
著者は見えない人から見た世界をかいまみることによって、特別視から対等な関係へ、そして、揺れ動く関係、福祉とは違う「おもしろい」をベースにした関係がつくれるかもしれないといいます。
トマトパスタが食べたいと思って開けた、レトルトのソースがクリームだった。
見えない人にはよくあることだそうです。
それでも、「ツイてる」、「ハズレ」と、ロシアンルーレットのように楽しむ。
見えない世界から学べることはたくさんありました。
お読みいただきありがとうございました。