2016年公開の映画『殿、利息でござる!』の原作となった「穀田屋十三郎」が収録されている本書。ご紹介したいのは大田垣蓮月。

 

寛政3(1791)年、京都に生まれた大田垣蓮月。

津藩藤堂家の高貴な血をひきながら、訳あって身分の低い武士の養女となっていた。

 

「赤子のうちから、これほど気品のある子もめずらしい」と言われるほどの美形であるばかりか、なにをやっても、ずば抜けている。

筆を持たせれば美麗な文字を書き、5歳で文章を書き始め、6歳になると大人顔負けの和歌を詠んだ。剣術を好み、こちらもかなりの腕前。鎖鎌まで振り回す。

 

二度の結婚で夫を亡くし、4人もうけた子どももすべて夭逝してしまう。

薄幸なんですよ。

 

夫の死後、尼僧になりますが、和歌を教えれば、美しさのあまり男性がたくさん習いに来る。ほとほと嫌になったみたいです。

 

和歌を教えることもできなくなり、器を作って売るのですが、これがへたくそで全然売れない。

それでも、焼き続けるうちに、素朴な味わいに人気が出て生産が間に合わないほどに。

 

贋作が多く出回ったようです。

 

この贋作に対していった言葉がふるってる。

「わたしのようなもんがはじめた埴細工で、食べられる方ができたんいうんは、ええことですわ」

 

終生、自他平等の修業をしていたといいます。

自分と他人を分けない。

誰にでも分け隔てなく接する。

 

嘉永3年の飢饉のときには、三十両(今でいうと1000万円)のお金を寄附したそうです。

焼き物を焼き、自分は何も持たず、大根の葉っぱを好み、鴨川に橋を架けるためにコツコツ貯めていたお金。それからまた泥をこね、10年の歳月をかけ、丸太町橋が架かったそうです。

 

江戸城総攻撃が回避できたのは、蓮月が西郷隆盛に送った和歌のおかげかもしれないとも。

 

「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば」

 

歌集の出版の話をかたくなに断ったため、若い頃の和歌は失われ、結婚から出家にかけての苦悩を歌で読み解くことはできないのだそうです。

 

蓮月がぼろぼろになるまでめくって読んだという小沢蘆庵の歌から2首

 

「人の世の富は 草場に置く露の 風を待つ間の 光なりけり」

 

「安からん 大路は行かで 岩根踏み 賢(さか)しき道に迷ふ 世の人」