1986年、アイダホ州クリフトンで偏った宗教信条を持つ両親のもと、7人兄弟の末っ子として生まれたタラは、物心ついたときから父親の信仰心が色濃く反映された生活を送っていた。
両親は科学や医療を否定し、政府を目の敵にし、子どもたちを学校にも通わせず、独特な生き方を強要し、正しいと信じ込ませた。社会から孤立したその暮らしは、質素で荒唐無稽。
「学校に行きたい」というタラに
「私たち家族は、神の掟に従うんだ」と言う父親
父親「ヤコブとエサウの話を覚えているか」
タラ「覚えてる」
説明なんか要らなかった。
空腹のエサウはポタージュを得るためにヤコブに長子の権利を引き渡した。
学校はポタージュで、家で教育を受けることは”得がたい権利”なのだ。
あるとき、父親よりは柔軟な母親が、ダンスを習わせてくれることになった。
先生にダンスシューズを勧められたタラは「買えない」と言う。
お金がないからではない。
「慎みがない」と感じたのだ。
兄の一人が大学に進学したことから、出口がないかに見えた山の生活に光が差す。
両親の反対を押し切って大学を目指すタラ。
「自分たちと違う人たちとどうやって話をすればいいか分からなかった」
そこでもタラを苦しめる生い立ちの呪縛。
エキセントリックな父は廃材処理業者で狂信者、間もなく訪れる「終わりの日」に備えて、食料品を備蓄し、納屋の近くにガソリンを埋めている。
学校に行ったこともなければ、病院に行ったこともなかった。
やっと自分の過去を話すことができたとき、とうとうこれまでの人生に向き合えたとつづっています。
過去は亡霊で、実体もなければ何の力もない。
大事なのは未来だけだ。
ノンフィクションですが、情景の描写がすばらしく、優れた文学作品のよう。
バラク・オバマ、ビル・ゲイツが絶賛し、全米で400万部売り上げたという本書。
アメリカではこういう本が売れるのですね。