私が新卒で入った会社で配属された課はソ連と商売をしていました。


ちょいちょい スパイが捕まる高輪の通商代表部におつかいに行ったり  船に乗ってきた  これ、ほんとに重要書類なんですか?くらい粗末な水コピーの書類を扱って業務を行っていました。



当時は ソ連の末期。 小娘な私の印象は「貧乏な国」



出張者のお土産も マトリョーシカばかりで 隣の部署がアメリカやニュージーランドを相手にしていたのでめちゃくちゃ羨ましかったのを覚えています。(意地汚くて恥ずかしい)



こちらからは  きれいなお姉さんのポスターやカレンダーを作ったり   逆さにすると女性の絵のお洋服が消えちゃうしょーもないボールペンなんかを出張者に持たせていました。(効果は絶大)



印象的だったのは   当時出来たばかりの東京ディズニーランドへ行きたいというロシア人を 同期の男性がアテンドすることになった時のこと。


なんと当日 関東では珍しい大雪になってしまい  中止になるかと思いきや   



「大雪?これが?(笑)」とロシア人に笑い飛ばされて同僚は半べそかきながら出かけました。


後日、その日の写真を現像(時代感すごい)してきたら  本当に真横に吹き付ける雪の中、めちゃくちゃ笑顔で楽しそうな 赤ら顔のロシア人のおじさん三人が写っていました。


こんな風に


たまに日本に来る人たちは 素朴で田舎のおじさんという感じでした。   



やがて  ペレストロイカたグラスノスチだと騒がしくなり  ソ連が崩壊した時は、小娘の私は  そりゃーそーだよなー  社会主義は大変そうだし 良かったね  位にしか思わなかった。


資本主義への無垢な信頼しかなかった。


当時貰ったマトリョーシカやスカーフはすべてどこかにいってしまったけれど  手元に残ってるものがひとつだけある






文字盤に  CCCP  と書いてある


無くしても良いやと思って  息子の出産で入院するときにつけていった。それで逆に思い出の品となり捨てられなくなってしまったんだけれど(笑)


先日  ネジを巻いて動かしたら すぐに止まってしまった。なんだか悲しい気持ちになった。


私が子供の頃はまだ 戦争に関する教育があって 夏休みの課題図書は必ず戦争関連のものだった。

戦争をしてはいけないと刷り込まれるように育ったけれど  他の国はまた違うんだよね。


こんなに簡単に 戦争が身近に迫ってくるんだと半ば呆然としながら


自分もまた  100年後には歴史の隅っこにいた市民として埋もれていくんだなと当たり前のことを感じています。


社会の教科書に第三次世界大戦と太字で書かれる時代の人にはなりたくないけど……
どうなるんだろうね。


2月末からどうにもブログが書けなくて


どんなに気持ちが落ちても  普通に生活はしてるわけで  なんなら反動で買い物したり、食事に行ったり笑ったり、勿論仕事もしてるんだけど   


やはり  重たい気持ちを置いといて  食事の写真をあげる気にならないので  長文書きました。読んでくれた方、嫌な気持ちにさせてたらごめんなさい。


これからも ベースにザワザワとした気持ちを抱えながら  市井の人らしく日常を過ごしていきます。


まずは楽天スーパーセールかな


DEATH NOTE売ってないかな……