ゆうちゃん  でもなく  ハンカチ王子でもない

 

やはり「斎藤君」がしっくりくるので このまま失礼します。

 

 

早実の野球を初めてナマで見たのは斎藤君入学より少し前

 

神宮球場で試合をしていると聞いて 当時小学校1年生くらいだった息子を連れて散歩がてらに向かいました。 どこと試合していたかも覚えてないし 客席もガラガラ もちろんブラバンなんていないしチアもいませんでした。 応援委員会も数人で 細い男の子の声が嗄れきっていて気の毒だったのが印象に残っています。

 

その数年後 今年のピッチャー良いらしいという噂で彼の存在を認識しました。

 

そして秋の大会 校舎移転 共学化の影響でグラウンドが定まらなかった野球部が久々の甲子園出場を決めて 学校内もザワザワしはじめました。

 

この頃には 何回か試合を見に行って クラスメイト親子に観戦仲間が増えてきたので 学校のツアーに応募して試合を見に行くことにしました。野球少年でもない子供たちは完全にダシ でも友達と旅行にいくからとても楽しそうでした(笑)

 

ツアーでは家族別に新幹線で向かって  その後子供たちは別に集められて観戦。このころはそんなに「熱狂」はなかったけれどツアーはすごい人数で万博公園のそばの駐車場に沢山のツアーがチャーターした観光バスが停まっていたのは圧巻でした。

 

初戦は危なげなく勝ったものの 関西高校と延長再試合(再試合マニアか) 接戦を制したけれど 次の横浜高校戦では打ち込まれて敗退となりました。この選抜ではまあくんの高校は出場辞退だったと思います。どこが優勝したんだっけ…

 

この選抜での思い出といえば 関西高校との再試合が決着した瞬間です。ナイターの照明に照らし出されたのはふわふわと舞う春の雪でした。 あとで知りましたが 早実の伝説の選手が若くして亡くなったそうで彼が降らせた雪だと言う書き込みが応援サイトにありました。

 

この頃はツイッター インスタが無かったので ネットの情報はもっぱら掲示板。

 

私設の応援掲示板は吹奏楽部出身のとてもクレバーなOBの方が管理人をされていて リスペクトのない発言には厳しく とても治安のいい場所でしたし 色々なことを教えて貰いました。

当時鬼っ子よばわりだった小学生にもとてもやさしく対応して下さったのを思い出します。創設間もないチアの方がとても感心する書き込みで批判的だったOBの方々に挨拶をされたのもこの板でした。

 

随分あとでの話ですが チアなんか要らないと苦虫だったOBのおじい様方が客席でニコニコと「学注」を聞いているのを見て すっかり馴染んでいるなあ~と目を細めたおばちゃんです。

 

語り始めたら そりゃなかなか終わらないよね 16年だもん

 


中編へつづく