池袋の交通事故での公判が昨日からあちこちで記事になっています。
被害に合われた方の本当によいご家族だったのだなぁと思う映像を見るにつけ 怒りが沸々と込み上げます。
だって
被告はまだ 事故は車のせいだって言ってるんだもん。
せめて
免許を返納すべきだった。申し訳ないことをしたって悔いてくれたら 少しは遺族も救われただろうに。
上級国民って言い方は好きではないけれど
エリートだからって罪から逃げるなんてあり得ない
しらを切らずに被害者と向き合って欲しい……
ん?
しらを 切って
んん?
ここで ちょっと考え込んでしまった私。
あの、微塵も自分は間違っていないという風情 しらを切るというには自信満々で
どっかで見たぞ すごく身近で………
ここで後れ馳せながら気がつきました。
年取ったら運転していけない理由は数あれど
その一つに記憶の書き換えもあるのでは?
年取った家族がいたら分かりますよね。
ちょっとしたことで 悪気無く 記憶を書き換えてしまうとか
反射的に自分を守るような嘘をつき、それが嘘じゃなくて本当の記憶に瞬時に置き換えられてしまう。
そうなると 理詰めで話しても
嘘つき呼ばわり、しないで!と怒りだす。
ちょうど我が家で今朝繰り広げられたばっかりだ。
飯塚被告も辻褄の合わない諸々を「この目で見た!」と固く信じているのではないか
これが老いから来るものなら 正論ではどうしようもない気がする。経験上
アラフィフの私は いよいよ身近になってきて 老いが心底怖い
自分が「見た」と思ったものを疑わなければいけないって どうしていいか分からないよね。
結論は出ないけれど 救いは自分がペーパードライバーだってことだけ。
そもそも 車の運転以外でもトラブル巻き起こす可能性はいくらでもあるしなぁ
ボケた先までは責任もてないけれど 診断書が出るまではなんとか自分をコントロールできる人でいたい 少々憂鬱な気付きでありました。