息子が大切な友達を無くしてから何日かたって


友人たちと悼みながら折り合いをつけて行くのだろうと思っていましたが


心のなかに後悔や怒りや悲しみを抱えて それが少しずつ発酵してきた本人が選んだ方法は文章にすることでした。


これは私にしたらとても意外で


日頃の息子は 感傷的に見える追悼文とかが大嫌いで

哀しみ方は人それぞれだろうに

なにが鼻につくのか 偽善の匂いを勝手にかぎとって頻繁にアレルギー反応を起こす訳です。


そんな彼が?


本人もそのあたり充分自覚していたので


いつも批判的な自分が文章を公開する事にことわりを入れてまでもの ど長文。


たまたま 読むことになりましたが 普段母にはクローズなSNS上


覚え書きのように淡々と 出会いから別れまで

最後に何を後悔しているか

どれだけ残念か

喪失感を無理やり行間に封じ込め 

取り調べ調書のように淡々と書かれていました。


私もこうやってど長文書きながら分かってきましたが  血は争えない


文章にして整理するタイプなのね。


私のモヤモヤの原因も少しわかりました。


彼はもう 大きい悲しみを消化する方法を見つけているのだな


大人になったとか成長したとかじゃなくて


もう  一人で歩いてるんだな


卒業とか就職とか経済的自立は分かりやすいけど


精神的自立って  ふとした瞬間に気づかされるものですね。


幼児の頃 傷ついて泣く息子の顔を見て何とも言えない気持ちになった事を思い出して


ちょっと名残惜しいような懐かしさを感じました。


私のモヤモヤの原因も突き止めれば大したことないね。
だれもが通る親離れの寂しさか…




SNSの文章は数日公開して削除



日常が戻って来ました。



子育ての終わりを噛み締めていた頃にもうひとつ事件が起こりました。


次で終わります。