3月11日は7年前までは父の誕生日でした。
その日も入院中の父にバースデーケーキを買って電車にのっていた私
明大前で止まっているときに経験したことがないくらい強い揺れが。
窓の外の電線がちぎれるかと思うくらい左右に振れていました。
これはしばらく電車は動かないなーと。
犬が心配で 仕事場が家の近くである夫に電話するも(繋がったんですよねこの時は) 「仕事中!」と何事もなかったような対応 あー 夫あるある地震にも揺らがず。
明大前から甲州街道をひたすら周りの人と行進して家まで帰りました。
途中新宿の南口でビルと道路の間に大きく亀裂が入っていたのが今でもはっきり思い出されます。
帰宅したら家の家具が中心に向かってせり出していました。歩く冷蔵庫…… 怖い。
一人で留守番だったポメはそれから余震の度に私の膝に駆けてくるようになりました。
翌日は電車も動いていて
まだお店も通常営業
たまたま大阪から来た友達も新大久保なんかで観光していました。
大災害を認識するのに少し時差があったように思います。
その二か月後の5月に父が亡くなり 最後の誕生日はとうとうお祝いできなかったけど世の中はそれどころではなく
なんだかんだ普通に暮らしている自分が申し訳なくて
色々な窓口を通して 紙おむつや粉ミルクやおしり拭きやら集めて送り、 夏には被災地に置き去りにされた犬達の世話のボランティアに行きました。
特に犬と猫のボランティアは 主宰者の人の苦労が傍目にもすさまじく その上物言わぬ犬猫たちがかわいそうでかわいそうで 泣けると言うより呆然とするような経験でした。
積み上げられたケージに餌をあげにいくと 反対のケージにいる子から前足でとんとんと肩を触られました。
振り替えるとかわいい雑種の中型犬で
ケージの名札には「浪江町 ガソリンスタンド前」と捕獲された場所が書いてあって あらためて被災地から来たんだなと。飼い主の方はどうしているのだろうと思いました。
それから だんだん日々の暮らしに追われて気がつけばもう7年
今も なにも出来なくて申し訳ない気持ちがあります。何をやったところで ここまでやれば良いだろうと思うことも無いでしょうが。
せめても 教えて貰ったことを教訓として備えていかなければ 情けないですね。