金曜日は、

第14回全国自死遺族フォーラムでした。



私は初参加です。



おそらく3年程前に知り、

毎年9月開催で、

去年は参加しようと思ってましたが、

コロナ禍で県外への行き来を避け

不参加でした。



今年は仙台市開催ということで、

宮城県の感染者も減って来ており、

なおかつ人数制限された会場なので、

直前の様子を見て参加と

お手伝いを決めました。


(分かち合いの会やこういう場を

不要不急とは思っていませんが、

私の場合は、看護師という立場上、

感染した場合に重傷どころか

命に直結する高リスク者達が相手なので、

そのように判断しています。)





遺族の心情に深い理解をして下さる

上智大の岡先生の話も直接会って

聞きたいと思っていたので。




とても良い講演でした。



愛(かな)しい感情の話や、

悲(愛)しみは自分のもの、

悲(愛)しみと一緒に生きる生き方、



失くした方がいいと言う「悲しみ」

あるいは治療が必要という「悲しみ」は、

愛ではなく悪いもの(毒)と捉えた考え方、


ということ。




自分で体験しながら

自分の中に落とし込んできたことを

理路整然と話して下さいました。




詳しくは、

リブログさせて頂いたポピーさんの記事を
お読み下さい。


ポピーさんには内心
「会えるかな?」と思って出掛けました爆笑



メディアでお顔を拝見していたので、

あっ!あの方だ!

と近寄り声を掛けさせて頂きました🙇‍♀️




顔が見えて、直接話すと

ブログの言葉にも体温を感じてきますね。




あと、お手伝いは裏方で、

受付をすることになるとは思ってなくて、、

でも、念の為と

ちょっと小綺麗なワンピースを

着て行って正解でした😅


危ない💦危ない💦



皆さんとの夕食会(マスク着用)には、

私は家族にフォーラムのことも

参加のことも話してないからが1番の理由、

感染予防が2番目の理由で

不参加でした。



でも、、、

岡先生とも遺族の皆さんとも

もっと話したかったなぁ、、、



私はいつも分かち合いの会に参加しても

その後の会食的なものには

参加してきませんでした。



が、コロナ禍を通して

「会えること」も特別なことだと

感じているので、せっかくのご縁と機会を

これからは、もっと大切にしていこう‼️

と思いながら帰ってきました。



……………………………………………………




フォーラムのこと、その関連のことに

ついてもう少し書きますね。







2人の遺族の話の後に

質問や感想を述べてもらう時間がありました。



今回、遺族が話して下さったのは、

学校のイジメ事案と、職場のパワハラ事案。



そのせいもあってか?

きっと自死とはそういう事案がほとんどと

思って機会があれば話したいと

思って参加したのか?は不明ですが、



数人の発言者のうちのお二人の

やや年配の男性は、


教育の不備論を滔々と話したり、

自分が同級生で見たイジメ事案から

教員の力不足を語りました。




う〜〜〜ん、、、、ショボーン



教育の不備、教師の資質ももちろんあるが、

そこを訴えるのは、

公的な機関の自死対策や教育改革の場で

して頂きたいし、



遺族の心や生き方、

失った命の尊さや

現世にない命を大切にしている遺族の気持ち

を講演や遺族の話を聞いた後に、

貴重な少ない時間の中でそれを話すか⁉️

とガッカリでしたショボーン




全国自死遺族連絡会代表の

外国ではこのような会の時は、

どんなに素敵な家族だったか、

故人のことをたくさん語るんですよ。

遺族の方も声をあげて欲しい。

と提案があり、


妹さんを亡くされたお姉さんが

どんなに優しくて可愛い妹だったか、

守れなかった命の話をして下さいました。




私自身、


虐めやパワハラだけでなく、

普通の幸せに見える

問題がなさそうな家庭にも起きること、

「自死=死にたい」の単純なことでないし、

「生きられない=死にたい」わけでないことも理解して欲しいと思っている。



という話をしようか迷いましたが、

悪者探しをしたい二人の男性のような人達も

参加していると思うと、

声に出すことは出来ずに終えました。








フォーラムには、

事前の申し込みより

多くのメディアも来場しました。




休憩時間に、

受付をしていた私に

読売新聞の若い女性の記者が

来場者数を聞いてきました。


来場者は遺族が多いのか?とか

分かち合いの会の参加者についての質問があったので、


私自身は、時々しか参加してないので、

私自身が感じたことしか言えませんが、

と前置きして、


私自身は、

地元過ぎて参加するのに1年2ヶ月かかった。

近隣や地元の方々が多いが、

地元の会ではなく、

新幹線を使って遠方から来られる人もいます。


と答えると「何故?」という反応。



こんなキラキラした場所に来るのにも

勇気がいるし、

こんな駅前で知人に会うことになるのが

怖かったんです。

新幹線でいらしていた方も、

「誰も知ってる人に会わない知らない土地の方が心が楽なんだ」と話してました。



不意に商業施設で友人知人と会うと、

「元気で良かった!」と言ったり、

逆に、「もう元気になったの?私なら無理!」

なんていうようなことに

たくさん出くわします。



全然大丈夫でも元気でもないけど、

私達は生きていかなきゃいけませんから。




でも、遺族の方々と会うと、

ボロボロの頃から見てるし、

全く変わらない悲しみ苦しみと共に

頑張っているのをお互い知っているから、


「明るい色の服も着れるようになったのね。

頑張ってるね!元気になったね!」


なんて言葉も安心して素直に交わせるんです。



と話しました。




次男のことも聞かれたので、

涙を溢しながら話す私の言葉に

涙を、浮かべて真摯に聞いてくれました。


そして、

少し記事に書いていいですか?

というので、

「子」という書き方で

大学入学前とかの時期的なものだけで、

次男の内容に触れなければ大丈夫ですが、、、

と話しました。



でもその後に、

とても深い話を二人の遺族がされたし、

帰りには何も声をかけられなかったので、

記事には書かれないと思ってました。


が、触れられていました💦





きっと記者の方自身には

私の気持ち、遺族の気持ちは伝わったと

感じたやり取りでしたが、


「ここでは安心して『元気になったね』とお互いに声を掛け合える」


だけになってしまうと、、、、



遺族以外の人には全く伝わらないどころか、

「時間と共に元気になっていく姿」

としか捉えてもらえないだろうな。





そして記者さん自身、字数もあるために

その一文に思いを込めて書いて下さったのだと

は思うが、、、残念に感じました。



ウッカリ話したが故に、遺族の方々に

申し訳ない気持ちにもなりました。🙇‍♀️




自己弁護のような記事になってしまいましたが

自分の伝える力のなさに

改めてガッカリ😮‍💨



こんな場では🤐

お口チャックですな、、、🙇‍♀️







岡先生の本の中の言葉とか

分かち合いの会に参加する自分の感情とか、

また改めて少しずつ書いていこうと思います。






あっ!

読売新聞の地域版のページに載っていたので、

他地域の読売さんには

掲載されてないのかな?


他の地域の読売新聞購読者さんがいたら

ちょっとコメント頂けると嬉しいです。




ということで、今回は

コメント欄開けておきます。