最近も、
いたたまれない事件や事故、自死が
悲しいけど起こっています。



「元々いた魂の故郷へ還った」
とは頭で分かっているつもりでも、
なんとも、かんとも、
やるせません。😭😭😭



病もしかりです。




私の甥っ子も
夢や希望をたくさん持ったままに
還っていきました。



どんな還り方でも、
まだまだ心がギュッとします。



ただ、自死した魂達も
決してそれが良しとしていた訳でなく
誰かを傷付けるつもりでもなく



もう自分自身も、他の誰も傷つけたくないと
逝ってしまったのだと思っています。




そして、2年を過ぎた私には、

地上に来る前に決めてきた時間が来ただけ

とかいう考え方も、、、
「そうなのかもしれない」
と朧げに思うところまできています。


(もちろん、私自身が違っていたら
たとえ決めてきていても、
もう少しだけでも
この世にいたに違いない!とも思うし、
解釈は人それぞれにあって、
それぞれが思うことで
いいのだとも思います。)



ただ、次男が魂として
今も存在しているに違いない‼️


と思うようになったのは、
次男を失ってから、
数々のことを体験してきて

確信しかない‼️

というところまで来ています。



我が子のことだけでみると、
そう思いたいだけなんじゃないか⁈
という気になってしまいますが、



ココの場で繋がった
仲間のお子さん達との出会いや、
そこで起こったことで確信してきました。




それらの不思議な世界の中で、
思いもよらない体験をしたことがあります。



そのことも、
「人は魂として存在していること」
を意識したきっかけだったので、
そのことを書きたいと思います。



……………………………………………………



私は、看護師をトータルで23年程
しています。

なので、
いろんな別れを体験してきました。

主には病気での別れですが。






次男を亡くしてから
4ヶ月目に湯殿山という霊山に
滝行に行きました。



滝行を終えた後で、
見えない者と会話の出来るSさんを通して
次男の言葉を聞く体験をしました。


(まゆつば物と感じる方もいると思うので、
真偽はそれぞれので解釈でお願いします。)



その時Sさんからは、


まだ4か月、
本当は地上に来られる時ではないが、
湯殿山の神様が許してくださったようだ。

きっと滝行をするお母さんの覚悟や
いろんな気持ちを汲んでくださったのね。

と言われました。




、、、が、


その瞬間に私の頭に浮かんだのは、
既に天に還った3人の顔でした。




次男の想いが強かっただけでなく、

私が滝行をしたからだけでなく、

3人が神様に頼んでくれたんだと

瞬間的に感じました。


 

一人は、
次男の8つ上の甥っ子。
次男を迎えに来て寄り添ってくれているY。



一人は、
11年程仕事で関わらせて頂いた
ALSで次男より半月ほど後に還ったM郎さん。


(ALSは徐々に筋肉が動かなくなり、
呼吸もできなくなり、人工呼吸器が必要になります。痛覚などの感覚、意識はハッキリしていても
最期は、瞬きも眼球を動かすこともできなくなります。)



一人は、
悪性リンパ腫で3年程闘病していた
高校生のM君。




Yは、
我が家の4人の子を弟妹のように
思っていてくれて、
一緒に育ちましたから、



そして、この世に遺して還ることを
先に経験しているので、
なんとか次男の声を届けてやりたいと
思ってくれたに違いありません。




M郎さんは、、、
非行に走る子供と接する仕事
をしていた方だったので、

うちの長男の不登校や
次男の無気力、壁に穴を開けたことなど、

身体を拭きながら、マッサージをしながら
ケアの合間に
その時々で話してきていました。



(仕事中の私語は賛否両論あると思いますが、
私は、寝た切りの利用者さんには、
その人が興味を持つような話を
いろんな意図を持ってしています。
学生にも、裏付けを持った看護観を
大事にするように指導してます。)



M郎さんは、
いつも、真剣に話しを聞いて
大丈夫!大丈夫!
と目で語ってくれていました。


世話好きなM郎さんは、
きっと、いろんなエピソードを交えながら
神様に頼んでくれたのだろう
と感じました。




でも、この二人はある意味
納得できる二人だし、

そう思いたい自分の願望、妄想
とも思える二人です。





で、高校生のM君。

私が共に過ごしたのは、
当時まだ新卒2年目から4年目まで。

M君は、中学から高校生時代を
入退院を繰り返しながら
天に還って行きました。



遠い記憶過ぎて、
思い出した記憶もありません。

M君の笑い顔は今でも覚えていますけど。
よく来ていたお母さんの顔すら
覚えてません。



でも、確かに
「このM君からのお礼の気持ち」
を感じました。



もう、終末期で、
体力もないし、病院から出られないし、
という時期に、



「ウォーリーを探せ」の絵本
が脚光を浴びている時期だったので
この絵本を紹介しました。



暇だよね?やってみたら?
結構楽しいよ!

と声をかけたのです。




光の国に還った後、
しばらくしてから
家族が病棟に挨拶に見えて、


「ウォーリーを探せを
        教えてくれた看護師に」

とお礼のハンカチを
置いていかれたそうで、

先輩看護師から手渡されたのを
覚えています。


もう、どんなハンカチだったかも
全く覚えていないし、


ホントに申し訳ないけど、
その病棟から移動してからは、
思い出したこともなかったと思います。


でも、M君からの
「ありがとうの気持ち」
だと、咄嗟に浮かんだのです。



芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で、
カンダタが助けた蜘蛛の糸を
お釈迦様が垂らすお話のように、


もう、30年も前の
小さな小さな出来事に対する気持ちを
神様に伝えお願いしてくれたと

何故か咄嗟に感じたのです。



……………………………………………………


この、怪しい話で
何で魂の存在を感じたの?

と思われる方もいると思いますが、、、



私の中では
瞬時に鮮烈に感じたことで、
妄想を巡らす時間もないこと。



そして、
その後もこうして思い出したりすると、
フッとこころが温かくなること、



それを感じてると
魂って存在してるよね。



そして、こんな些細なことも
伝えられなかった思いとして
残っている(存在している)ように
感じる私です。





この記事は、
途中まで書いては保存し、
書き直しては保存し、

この内容に意味があるのか?
伝わるのか?



いろいろ思ってましたが、
何故かアップしたくなった今日です。




私の旦那は、

「次男は無になった」

と言います。

「でも、心の中にはちゃんといるよ。」

とも言います。

 
でも、旦那と話しをしてると
私は悲しくなるので、
あまり次男の話はしません。


そして、

私が信じてること、
大事にしたいことを、

同じようには思ってくれなくてもいいから、
自分を支えているものなので、
否定はしないで欲しい。

とお願いしています。


で、

「分かった」と言って、

私が遺族の方達と会うことも
快く送り出してくれます。


「心の中にいる」も

突き詰めれば、、、

魂の存在と同じことなのかなー

と思ったりすることもあります。


でも、私は
まだまだ旦那と話すと悲しくなるのです。



同じものを大事にしている人と話す時、
それは、温かく優しく、
次男のことも、
遠くに離れて暮らす子のように
話ができます。


涙が溢れ泣きながら話しても
最後には心が温かくなります。
自然に笑顔に、優しい顔になります。



旦那と話す時、
去年の12月に話した時は、
悲しくて、悲しくて、
自分から次男の話しをやめたのを
覚えています。



でも、
いろんなことを許容してくれてることの
時間の経過で、
半年前よりは
旦那との距離を縮めている感覚も
少しあります。


悲しくなるのが怖いので、
次男の深い話はしてませんけど、、、滝汗



今、私がしていることは、
「仲良しごっこ」でもなければ
「仲間を集めて、考え方を押し付けてる」
訳でもありません。




悲しく厳しいこの世を
生きていくには、


自分が大事にしたいことを、
同じく大事にしたい人と
話しをすることがとても重要だと思います。


そうすることで、
心が癒され、見えない子を慈しみ
今も、これからも大事に思えます。
自分はこのままで大丈夫だと思えます。



自分が大事にしたいことを
素直に大事にしたままで
話ができる場、人と出会えることは奇跡です。


いろんな人の中で生きていく為には、

人の中で癒され、救われる経験を
重ねていくしかないのかなー

そう思います。


遺族以外の親友にも助けられてます。
辛い気持ちも受け止めてくれるし、
サインの話も一緒にしてくれます。


それでも、悲しみ苦しみに関しては、
遺族の人に話したり、
ここで書いていることの半分も
話はしてません。

親友達が辛くなるし、
何と声をかけたらいいのか
迷うはずだから。


リアルな世界で生きていく為には
まだまだココの繋がりが必要な私がいます。



次男の話を
遠慮なく話せる場所だから。



休日の朝から、、、

長い長い
独り言にお付き合い頂き
ありがとうございました。🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️