長男の経過、長男が思ったこと、親が思ったことなどについて書きます。
(長男の経過が誰かの参考になれば、という思いです)
先ずは、不登校から休学まで。
長男が高等専門学校を休んだのは、3年の冬休み明けの時。
冬休み前までは、無遅刻無欠席だった。
家から近いわけではない。片道約1時間半かけて通学していた。
冬休みの宿題は終わっていると言っていた。
1日目は体調不良だった。
パートから戻った私は、
弁当をしっかり食べていたこと、
部屋が綺麗なこと、
枕元にあった貯金箱が見当たらなかったこと
に妙にザワザワとした。
(でも怖くてアレコレ聞けなかった。体調の心配だけを言葉にした)
翌日は、パートが休みの日だったから
「明日も電車混むから、明日は学校まで送っていくね」と伝え、”もしかして…”と”イヤ違う”の思いを繰り返し考えながらも、大丈夫!大丈夫!と念じていたように思う。
翌朝、案の定
長男「行きたくない」
私「じゃあ、今日は宿題だけ出しに行こう。
体調悪いから2、3日休みます。
って言ってこよう!」
行かないと言った場合を想定して夜中に考えていた提案をし、車に乗せて出発。
(実際に学校入ったら、やっぱ通わなきゃって思わないだろうか?安易に休ませない方がいいかも。と思ってだ)
私「学校入りたくなかったら、お母さんが
宿題置いて、先生と話してくるから
車で待ってればいいし。」
学校が近づいた。片側三車線もある大通りの交差点で、赤信号で停車した。
すると長男は車から飛び出して逃げだした。
慌てて先回りして、車を降りて
私「落ち着け!
行きたくないのはよく分かった!
車に乗って家に帰ろう!」
切羽詰まって興奮してるから
後ずさりしながら一気に叫んだ。
長男「休みに入る前から決めていた。
冬休み後は行かないと決めていた。
だから、課題もしていない。
でも、行かないのは許されないと
思ったから、
本当は、家を出るつもりだった。
保証人のいらないアパートも
いくつか見つけてある。
でも、出られなかった。
みんなが馬鹿にしている!」
言葉数の少ない子なのに、
思わず胸の内を吐き出せた。
最大級の一大事だと思った。
私「わかった!そんなに苦しんでたんだね。
わかったから家に帰ろう。
騙して連れて行ったりしないから。」
と言ってなんとか連れて帰ってきた。
先生に相談すると、
既に出席日数は足りてるから期末試験を受けさえすれば進級できる。
高校課程修了となる。
辞めても大学、専門学校とか受けられる。
テストは別室受験もできる。
とのことだったので、テスト以外は全て休むことにお願いした。
旦那には帰って直ぐにメールを入れた。
夫「わかった。学校行かなくていい。」
だけだった。
おそらく、切羽詰まった状況で吐き出せたことが良かったのだろう。
そして、直ぐに先生と相談出来て、休んでも修了となることがわかったこと、親もすんなり受け入れたことで安心したのだろう。
長男は引きこもることなく、御飯も普通に食べて家で過ごせるようになった。
しばらくは、学校のことに触れずに過ごさせたが、旦那が2人でドライブとランチに出掛けた時、表情が柔らかでのんびりしてる時、長男と2人きりになった時にチョコチョコと学校の様子や長男の気持ちを聞き出してみた。
結局は、
明らかな”いじめ”や”からかい”はない。
”自分がそう感じただけ”
”自分はゼロから作り出すより、植物、生物をより細部へと探究する方が向いていると思う”
(長男は、情報系のシステム工学科)
”夏ぐらいには、そんな思いはあったが、それほど深刻には思っていなかった。徐々に強く思うようになったが、はっきりとは分からない”
ということぐらいしか、この頃の長男の口からは、出てこなかった。
根本は、人付き合いが苦手なので、孤立して息苦しくなったことは明らかだった。
元々そういう子だったから。
幼稚園の頃からずっと心配してきたことだったから。担任が変わる度に心配されていたから。
結局、2月の中旬に別室受験で期末試験を受け、後で発覚した科目の補習を3時間だけプリント学習に行き、1回だけ担任との三者面談に行き、3年課程を修了した。
約2ヶ月たっても
「学校は辞める」
「家を出てバイトして生活する」
「大学は考えられない」
気持ちは変わらなかった。
学校に関しては、先生に聞くと4年は、専門課程で専門の授業も多いため、5月の連休明けには来ないと留年になる。
1年の休学ならお金はほとんどかからない。
バイトも旅行も全て親の判断。という状況。
長男は、一度もバイトをしたことがない。もちろん1人暮らしもない。炊事洗濯もロクにしたことがない状況。
なので長男に、
「貴方も長く悩んで決めたことだと思うが、親にも考える時間が必要だ。納得をしたらいつでも辞めさせる。1年間の休学にして欲しい。その中で車の免許を取り、バイトをして、家事も時々する。親が納得出来たら中退も、1人暮らしも認めるから。」と提案した。
長男は理解してくれた。
3月中に、休学の手続きをし、自分で自動車学校の手続きを済ませた。
淡々と穏やかに事が運んだように感じるかもしれないが、毎日が嵐のようだった。
涙が何度も何日も溢れた。
休み始めた数日は、家出の心配もした。
将来が不安になった。
気付かなかった自分を責めた。
私自身が長男のスクールカウンセラーの予約を入れ何度も通って相談した。
区役所にも相談に行った。
学童期の通所施設はわかるが青年期は分からないと言われた。(後に引きこもり予防で保健所管轄なのを知ったが)
「大丈夫よ!頭もいいし大学行けば。少しゆっくりさせたらいいよ。」
ほとんどの人に笑顔で軽く言われた。
悲しかった。悔しかった。
胸が苦しかった。
真剣に相談にのってアドバイスしてくれた友人と、「大変だったね。辛かったね。頑張ったね。」と涙を浮かべて背中をさすってくれたママ友が、今もずっと心を寄せてくれている心友だ。
家では明るく、不安もないような振る舞いをして、外ではなんとか生活していた。
テスト3日は休みを取って送迎した。終わるまで、本当に学校に入れるのかも不安だった。
カウンセリングや心療内科受診も勧めたが長男が拒否して行けなかった。
発達障害の本、不登校の本、自己肯定感を持たせる本、サイトも含めて読み漁っていた。
気持ちを切り替えるまでに2ヶ月くらいかかったと思う。
「休める、進級できる、高校課程修了」
という安心材料が揃っていてもこうだった。
「休みがち、進級も危うい、部屋に篭る」
状況であったら…
行く行かないで大騒ぎし、怒鳴り、篭り、どうなっていたか分からない。
長男の生育、カウンセラーからのアドバイスなどで役にたったことなどについて、次に書きたいと思う。