自転車200キロくらいの旅@思い出 | スパイエニャ

スパイエニャ

スパイエアのライブに2日連続で行き
その気になってしまい妻とコピーバンド結成!
わたしはギター!
妻はドラム!のはずがピアノを始めたらしい。

高校一年生になり、すぐに辞めたくなり(笑)、夏休みが訪れ、母親とケンカしつつ、おやじに負けたくない反抗期で、バイトでトラックの洗車をしてたら、トラックの運転手に、ひとり旅てもしてみろ!といわれ


夏休みが終わる直前に、自転車で親父の実家に行く!

という答えがわたしに訪れて(笑)

わたしの通学用の自転車はママチャリでむりで、幼なじみにスポーティーサイクリングを借りて決行!


真夏の炎天下の中、一時間ほど走り、県内の関所の山を登りながら、

歩いた方がはえー

と思いながら、すでにポカリスエットは5本飲みきり、なんとか関所を登りきり下り坂~おれってすげー

当時は携帯電話などないので公衆電話で母親に

ここまできたけどね(o^-')b !


と、まだまだ先は長いのに自慢話(/-\*)笑


で、

県境


スタートから5時間経過


お昼頃です。



まじでやばい、たおれるかもと生まれて初めて思いました。

トンネルはまじやばです。
車に乗っていると分かりませんが、音がすごく大きく反響するので、めちゃ怖いのです。。。

そして峠

ペダルをこいでも、こいでも、こいでも進まない(*T^T)

2台の車の方から

大丈夫か?

と今思えば温かいこと

当時のわたしは人見知りもはげしいので

大丈夫です!

とか言って、本当は体も限界近くて、それよりも心が折れそうでした。

心、つまりはガキのツッパリだけです(/-\*)笑

たぶん車で5分で通過するだろう峠の頂上付近を1時間はかかったと思います。


クラクション鳴らされたり、がんばれよーと言われたり……この時に、自分の生きてる世界のせまさとかかんがえましたね。

だれでもいいからたよりたい(*T^T)
こんな感じです。


ひとりでも生きていけると思っていたときなので。


でもやはり反抗期(/-\*)笑

限界を越えつつ峠を越えてとなりの県へ!

ここで夕方になり、本当に小さい町の温泉街に到着。

少し、いや、かなりの自信を得たわたしは(笑)、観光案内してるらしい建家に!

事情を説明したら、おじさんが、予算内で泊めてくれると思う旅館を紹介してくれました。

あとは旅館で話してみなと……





自転車こいで大きな川の橋を渡り、その先にある温泉街に到着。
言われた旅館を発見!

すみませーん
と入り、おかみさんだろうおばさんが出てきて、未成年だけだと泊まれないの……と


なんだ、どうなってるんだ?泊まれるんじゃないのか?
野宿か?まー仕方ないが腹へったしな、うんこはどーする?爆笑
とか考えてたら

電話が

おかみさんがでる。


電話完了。

おかみさんに呼ばれる。

泊めてあげるから、食べれないものとかある?


どーした?急展開だぞ。


ま、いーか泊まれるなら


そんなわけで、生まれて初めてひとりで旅館に泊まり、夕飯は覚えてないのですが、ある程度の会席料理だったはずです。
野菜類好きじゃなかったけど、ここで食べておかないと死んでしまう( ̄▽ ̄;)

そんな感じで、なに食べてもおいしかったのだけ覚えてます。

爆睡したのも覚えてます(笑)


で、翌朝、早く出るしお金もないので朝食はなくていいですとおかみさんに言ってたのですが、朝五時に起きてフロントに行くと、おかみさんがいて、

これを食べな!

おにぎりとおかず



本当にビックリしました。

いくらですか?
単純に聞きました。

おかみさんが

君のお母さんから聞いた。君は見た目の通りやんちゃだけど(爆汗)、なにかかわりたいんだよね?


お母さんかんけいねーし

と答えたら

お母さんが、泣きながら君のことを心配してたよ、途中で引き返すと思ってたのにがんばったみたいで、お金はちゃんと払うので泊めてあげてくださいと……



実際にこの時は、よけいなことしやがってと思いました。

でも、その旅館を出発して、走りながらおにぎり食べて、涙が出ました。


こどもだなって



ふつかめの夜に実家に到着。
途中、おじさんが車で待ってて、大丈夫か?自転車置いて乗れ!と


夕飯は、お刺身でした。


わたしの、単なる反抗期の、単なるわがままで、何れだけの人に心配をかけたのだろう。


今は一応大人になり、感謝しかない毎日ですが、当時のわたしは


高校はやめないで、がんばろう


でした(笑)



高校に入った頃、母親はともだち感覚で、親父は敵でした。でもこの自転車の旅で


母親にも、父親にも


勝てるわけないなと



母親は旅館の交渉をしてくれましたが、父親はわたしが走るルートの仕事を段録りできるすべての社員にさせて、社員の人たちは、自転車で走るわたしを隠れて見ていてくれたそうです。


数年後、そのときのことを社員から聞きました。

みんな後継ぎのおまえが、二代目だから弱いと思ってたのに、公衆電話で、あの峠をこえたぞ!てなってさ、根性あるなって盛り上がったんだぞ……


だめだね、守られ過ぎてる。



親には勝てないな~と実感し


そんな親でよかったと思う転換期でした。

親は好きなことしてる、そう思っていましたが、わたしの方が好きなことしてることに気付いた旅でした。


それからかなりの年月がたちますが、あの自転車の旅がなかったら今のわたしはいないなと思います。


まもること


(o^-^o)

妻をまもりたいと思います。


妻には足りなーいと言われますが(/-\*)笑


ふと思い出して、がんばらなくちゃ!
となりました。